第十四話 二元論

生きるということは、動き(運動し)続けることであり、死ぬということは、動き(運動し)続けてきたものが止まる(静止する)ということであります。
わたしたちは、生きることと死ぬことを、相反するものと捉えてきました。
哲学の世界では、相反する(実際には相反しているのではなくて、補完し合っている)二つの現象を二元論と呼び、一枚のコインの裏・表のような関係を言います。
生きることと死ぬこと。
善いことと悪いこと。
強いことと弱いこと。
賢いことと愚かなこと。
金持ちと貧乏。
幸福と不幸。
天国と地獄。
健康と病気。
神と悪魔。
・・・・・・・・・。
よく考えてみれば、わたしたちがいろいろと悩んだり苦しんだりするのはすべて、この相反する二つの現象の間を往ったり来たりすることから生じていることがわかる筈です。
ずっと健康であれば、病気の苦労をする必要がないのですが、そうはいかず、時には病気になるから苦しむわけです。
いつもお金が十分あれば、貧乏の苦労をする必要がないのですが、そうはいかず、時にはお金に困り苦しむわけです。
ずっと幸福であれば、いつもルンルンでいられるのですが、そうはいかず、時には不幸な出来事があり苦しむわけです。
ずっと若くいることができれば、不自由なく暮らせるのですが、そうはいかず、時とともに老いてゆき、不自由な目に遭い苦しむわけです。
そして、行き着くところは死の問題です。
ずっと生き続けていくことができれば、死の恐怖に苦しむことはないのですが、いつか必ずやって来る死に苦しむわけです。
こういった現象を仏教では「四苦八苦」と言って、生きている中でのいろいろな苦しみがあると言うわけです。
では、わたしたちが嫌がる苦とは一体何なのでしょうか。
よく考えてみると、苦とは“無いものねだり”するために生じる、『現実』と『想い』の食い違いに苦しんでいることがわかってきます。
苦しんでいるのは、求めているものが手に入らないからです。
病気で苦しんでいるのは、求めている健康が手に入らないからです。
貧乏で苦しんでいるのは、求めているお金が手に入らないからです。
不幸で苦しんでいるのは、求めている幸福が手に入らないからです。
では、健康な人は一生健康でいられることができるのでしょうか。
では、お金持ちの人は一生お金持ちでいられることができるのでしょうか。
では、幸福な人は一生幸福でいられることができるのでしょうか。
健康な人でも、貧乏になります。
お金持ちの人でも、病気になります。
健康な人は一生幸福でいられるでしょうか。
お金持ちの人は一生幸福でいられるでしょうか。
『現実』と『想い』という二つの相反する現象の間を往ったり来たりすることが、「苦」の正体であるのです。
“二つの相反する現象の間を往ったり来たりする”
健康と病気の間を往ったり来たりする。
お金持ちと貧乏の間を往ったり来たりする。
幸福と不幸の間を往ったり来たりする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
生と死の間を往ったり来たりする。
つまり、動き(運動し)続けていることから生まれる現象が、『苦』の正体であることがわかってきます。
つまり、生きていることから生まれる現象が、『苦』の正体であることがわかってきます。
つまり、動き(運動し)続けているものが、止まれば(静止すれば)『苦』も失くなってしまいます。
つまり、死ねばすべての『苦』は消えて失くなってしまうのです。
死ぬということは、それでも嫌なことでしょうか。