第十二話 死ぬ前の死

『今、ここ』を生きるということは、違いが失くなる、差別が失くなるという、動き(運動し)続けているものが止まる(静止する)という、つまり、死ぬということであります。
『過去・現在・未来』に想いを馳せて生きるということは、違いが生じる、差別が生じるという、動き(運動し)続けるという、つまり、生きるということであります。
死ぬというのは、『自分は・・・』と思う(考える)自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が死ぬことに外なりません。
生きるというのは、『自分は・・・』と思う(考える)自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が生きるということに外なりません。
『過去・現在・未来』に想いを馳せて生きているわたしたち人間だけが、死ぬことを知っている、つまり、“自分もいつか必ず死ぬ”と思って(考えて)いる理由であり、『今、ここ』を生きている、他の生き物はみんな、死ぬことを知らない、つまり、“自分もいつか必ず死ぬ”ことを知らない理由であります。
死を怖れるとは、生きることに執着することに外なりません。
死を怖れなくなるには、死ぬ前に死ぬことです。
それが復活、つまり、生まれ変わるという意味に外なりません。
死を超えるとは、死ぬ前に死ぬことに外なりません。
「こころの琴線」で、わたしたちは“死ぬために生きている”のであって、“生きるために生きている”のではないと申し上げた根拠がここにあります。
死を超える、死を怖れなくなるには、死ぬ前に死ぬしかありません。
つまり、『今、ここ』を生きれば、死を超えることができ、死を怖れなくなります。
『過去・現在・未来』に想いを馳せて生きれば、死を怖れて生きることになります。
“よく生きるとは、よく死ぬこと”に外なりません。