第十話 この世だけの魂

同じ水でも、綺麗な結晶になっている四万十川やルルドの洞窟の水もあれば、隅田川や淀川のような結晶どころかヘドロ状態になっている水もありますが、H2Oには変わりありません。
同じように、自他の区分けをする自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」にも、四万十川やルルドの洞窟の水のような「心」や「魂」や「霊」や「精神」を持った人間もいれば、隅田川や淀川のような結晶どころかヘドロ状態になっている水のような「心」や「魂」や「霊」や「精神」を持った人間もいるけれど、『エゴ』には変わりありません。
つまり、一見、世の中のために生きようとし、悟りを求める立派な人間もいれば、本能欲のままに生きるどうしようもない人間もこの世の中にいるけれど、所詮は、自他の区分けと善悪の区分けをしている『エゴ』に変わりはないのです。
四万十川のような綺麗な水でも、少し油断すれば汚染されるし、隅田川のような汚れた水でも大事にすれば綺麗な結晶の水になれるのです。
それは、この世で生きている間に、水が汚染するようなことばかりしているか、水が綺麗な結晶体になるようなことをしているかに掛かっているのであり、この世とあの世の関連性などあるわけがない。
四万十川の水が蒸発してできた風や雲が綺麗な結晶体の風や雲になり、淀川の水が蒸発してできた風や雲はうす汚れたヘドロの風や雲になるわけがなく、風や雲になれば、結晶体もヘドロも関係なくなるのです。
つまり、生きている間に悟りを得たような人間でも、殺人のような罪を犯した人間でも、死ねば同じであることは、水、つまり、H2Oの相転移現象と、四万十川と隅田川の水も同じH2Oであることが証明しているのです。
生きている間に善行をすれば、あの世で天国に行ける。
生きている間に悪行三昧をすれば、あの世で地獄に落ちる。
生きている人間が、一体何の根拠を以って、そんなデタラメなことを言うのでしょうか。
最終の証明は、死んだひとり一人の人間が確認している筈ですが、残念ながら、彼らからの確たる返事を、生きているわたしたちは未だに受けとっていません。