雨の山下公園

多摩川園前のプラットホーム

わたしが電車から降りたら
あなたは笑って言った
どうしてこんなに遅れたの
わたしはなんのことかわからない
あなたは一時間以上待ったと
赤い顔して笑って言った
嬉しさの笑い顔なのか
腹だたしさの笑い顔なのか
あの時のあなたの顔を
わたしは今も忘れられない
だけどやっとわかるようになった
あの時のあなたの赤い顔した笑い顔


横浜に遊びに行く約束をした二人は、多摩川園前駅のプラットホームで二時に約束をした。
「今度は遅れないぞ」と思って、早めに日吉の駅から電車に飛び乗った軍司だった。
艶子も多摩川園前なら池上線との連絡駅で都合がよかったからだ。
二時前にプラットホームに下りた彼を、哀しい表情で微笑んでいる艶子が待っていた。
「どうしたの?十二時の約束だったのに」
二時間も待っていた恥ずかしさからか、それとも待った甲斐があった安堵感からか、顔をほんのり赤くして、微笑んでいた艶子だった。
「ええ、十二時?僕は二時だと思っていたんです」
彼女はそれ以上何も言わなかった。
この食い違いは、とうとう最後まで分からなかったが、軍司は本当に二時だと思っていたのだ。
しかし、悪い遅刻癖がある自分に勘違いがあったと思って、電車の中で立っている艶子の哀しい表情に胸が痛むのだった。
「あの寮は、確かに楽しい。だけど何か偽物臭さが感じてならない。本物という人は極めて少ない。このままではいけない」
彼は反省していた。
桜木町に着くと、雨が降り出した。
彼女はピンクのワンピースを着ていた。
それがピンクのルージュとマッチして、白人の口元の彫りの深さを彷彿させて、今までは姉のような気持ちでいた彼の気持ちに、初めて「かわいい」という想いが沸いた。
艶子は傘を開いて、軍司の方に傘をかけてくれた。
傘など準備してくるような軍司ではない。
「僕が持ちます」と言って、艶子から傘を引き取って左側を歩く艶子に、雨がかからないように左手で傘を持った。
そして右手は濃いグレーのズボンのポケットに突っ込んでいた。
桜木町から歩いて山下公園の通りに出たら、霧にかかった桟橋に氷川丸がぼんやりと見えるだけで、雨の歩道には二人しかいなかった。
白いポロシャツの上に真っ赤なカーディガンを着た背の高い軍司のさした傘の中に、ピンクのワンピースの艶子が白いハンドバッグを持って寄り添っていた。
雨が、余計に二人の気持ちを昂ぶらせていた。
艶子は、二時間も待たされたショックは、もう消えて、「素敵なお店ね。入らない?」
と明るい顔で言った。
歩道に面したテーブルに二人は座って、何時間も話をした。
軍司は時計を見て思い出した。
「ああ、そうだ。映画に行こうと思っていたんです」
微笑ながら、「どんな映画?」と艶子は聞いた。
急にためらって黙ってしまった軍司だが、生唾を呑み込んで、「世界残酷物語という映画です」
「ええ、何ですって?」
題名が良くない。
だが、彼女にとっては、どんな映画でも良かった。
店を出た二人は、一つの傘に肩を寄せ合っているのに、腕も組まないで伊勢崎町まで歩いた。
やっと映画館を見つけて、二人は劇場に入ると、ほとんど観客がいない。
それもそうで、その題名の通り、吐き気を催すような場面ばかりが出てくる。
さすがに、艶子も目をつぶってしまって、頭を軍司の肩に寄せた。
軍司も艶子の髪の上に頭を寄せ、お互いに目をつぶってしまった。
しばらく、そのままでいた二人だった。
軍司が「口づけをしたい!」という衝動に駆られたが、体が動かない。
艶子からも、受け入れる様子が感じられるだけに、彼は苛立った。
「出ましょうか?」
と言う軍司に艶子も頷いた。



雨の山下公園

真っ赤なカーディガン
あの人は 何気なく着こなし 
傘をさす
わたしは 横にただ寄り添うだけ
傘が あの人の片腕を取る
もうひとつはズボンのポケットの中
わたしの腕は宙ぶらりん
だけど何も言えないわたし
年下のあの人を 一目みた赤坂の夜
あの人は 幼く笑ってた
わたしは そっと笑い返した
その瞬間を 今も憶えている
雨の山下公園は誰もいない
あの人と歩いた雨の歩道
わたしは同じ傘の下
それでいいの それでいいの