赤坂での出逢い

勇気の空回り

あのすっぱい運命の朝 
天使がくれた驚きの出会い
上目がちに 微笑んだあの子
ただそれだけで 僕は呆然

期待に胸膨らませた日 
偶然装いばったり出会った
下を向いて 通り過ぎたあの子
ただそれだけで 僕は悶々

しばし逢えないその日 
勇気を奮ってベルを押した
戸を開けて 微笑んだあの子
遂にやったと 僕は感激

それから幾月か経った日 
あの子からの手紙が来た
僕の写真 欲しいと言ったあの子
ただそれだけで 僕は万歳

迂闊な後悔のあの日 
堤で待ってたあの子に言った
僕に向かって なぜか怒るあの子
それがすべてで 僕は沈没

恋には勇気より嘘が要るようだ
勇気も空回りで届かぬ想い
恋には勇気より騙りが要るようだ
嘘でも想いが届けば立派な恋
恋には勇気は禁物
恋には騙りが大切



昭和40年12月5日、軍司は同じ学生寮のパーティーに出席する為に、一年先輩の高田、山崎と共に、赤坂のホテル・ニュージャパンに向かった。
学生寮は横浜の日吉にあり、毎年12月に寮のパーティーがある。
このパーティーが一風変わっていて、寮の仲間内のパーティーなのに、女性同伴でないと出席出来ないルールになっていた。
寮生は、毎年12月が近づくと、ダンスパーティーに出かけてパートナーを見つけようと必死になる。
軍司は、その年の三月に、東京の慶応義塾大学工学部を合格し、四月から東京生活が始まった。
中学時代の同級生で、一時期淡い想いを持った女の子と仲良くしていて、東京に発つ日に大阪駅まで見送りに来てくれた。
そして彼女は目を光らせながら、プラットホームで「忘れな草」の鉢を彼にプレゼントしたこともあった。
しかし、軍司には、他の誰よりも何十倍、何百倍も好きな女の子がいた。
中学三年の時に、伊勢湾台風が襲って来て、彼の生家は古い家で大きなダメージを受けた。
そして近所の長男夫婦の家に、修理が済むまで寝泊まりすることになった。
台風が過ぎ去った翌日の朝、学校に出かけるため長男の家を出たその時、真向かいの家の女の子も学校に出かけるために家を出て来て、目が合った。
彼女は上目がちに軍司の顔を見てにっこり笑った。軍司の全身にその時、電気が走った。
彼女は一年下だったが私立の女学校に通っていた。
その出来事から五年間、淡い片思いの恋に、時には喜び、時には落胆する日々を送ることになったのだ。
東京の大学を合格して、いよいよ大阪を発つ日まで、軍司はずっとその女の子のことを遠くから眺めているだけだったが、「もう当分、顔を見ることが出来なくなる」と思うと、居ても立ってもいられなくなって、遂に意を決して、その女の子の家のベルを押した。
「本人が出て来なければ、どうしよう」
不安に駆られながら待っていると、家の戸が開けられて、そこに立っていたのは彼女だった。
「あのう、ちょっと話したいことあるんやけど」
いざとなると腹が据わる。
女の子は、軍司の顔を見て、にっこり笑った。
明らかに、軍司のことを知っていた笑いだった。
「ちょっと待ってね。すぐに出るから」
内心、「やったぞ!」歓喜の気持ちだった。
家から少し離れた所で、二人は立ち話をしたが、何を話したのかまったく覚えていない。
彼女の写真を貰った軍司は、東京、大阪と離ればなれになっても、「これで五年間の片思いは終了だ。これからは相思相愛の仲になった」と思って、すっきりした気持ちで大阪を離れることが出来た。
「忘れな草」を持って見送りに来てくれた同級生にはかわいそうだが、仕方ないと思った。
それほどに好きだったのだ。
夏休みも、本当はボート部の合宿があって、大阪に帰ることは出来なかったが、山中湖の合宿を終えると、一目散に彼女に会うために大阪に帰った。
ところが、家まで押しかけたあの日の手応えが彼女からは感じられなかった。
それは今でも謎だ。
頭の回転がシャープで、ちょっとした相手の言葉や動作で心の中を読み取る天性を持っていた軍司は思った。
「家に初めて行った時の彼女の表情は、明らかに嬉しそうだった。だから写真を欲しいと言ったら、すぐに家まで取りに戻り、何枚かの写真を持って来てくれた。また彼女からの手紙でも、自分の写真を待っていると書いてあった。第一印象は良かったはずなのにどうしてだろう」
彼女から横浜に送って来た手紙を、友達に見せたと言った時、「それは、あんまりだわ。わたしの手紙を人に見せるなんて」と言って怒ったことがあった。
今から考えると、たったあれだけのことで彼女の気持ちに冷水をかけた結果になったとしか思えなかった。
若い頃の恋心は壊れやすい。些細なことで急に冷めてしまう。
彼女の態度は、それ以後白々しくなっていった。
軍司はベストを尽くして挽回しようと思ったが、少年・少女から抜け出た程度の若者は、自己中心で残酷で相手に対する思いやりもない。
それでも今から考えれば、彼女は我慢して軍司の必死のアタックに応えてくれていたのだろう。だからそれ以後、決定的瞬間まで四年以上を要したのだ。
一旦冷めたものは、もう二度と熱くならない。
こんな状態が、結局大学を卒業するまで続いた。
半ば無理だと知りつつ、好きな想いをどうすることも出来ない。
まして、女性にもてない彼ではなかっただけに、他の女性との付き合いに、大きな影響をきたした。
どんな素敵な相手でも、好きになり切れない。彼女には、どんな女性でも所詮敵わないのだ。
客観的に見たら、彼女よりずっと素敵な女性が、彼のことを好きになっているのに、彼女以外に彼を喜ばせる女性がいなかったのは、ある意味で不幸であったと言える。
赤坂のニュージャパンに向かう為、赤坂見付駅を出て、信号を渡ったところで、寮の先輩の中尾栄一が声を掛けてきた。
「軍司。こっちや」
声の方に向くと、中尾栄一が、輝くような目に、口元がまばゆいばかりの、プロポーションの素晴らしい女性と一緒に立っていた。
「軍司。紹介したるわ。川村艶子さんや」
真っ白で歯並びが日本人離れした女性が、軍司に向かってにっこり笑ってくれた。
「今晩は」とぎこちなく言うと、またにっこり笑って、「川村艶子です」
と言った彼女を、軍司は不思議に思った。
「はっきり言って、背も低い、顔もねずみみたいな顔をしたこんな先輩には余りに不釣り合いだ」
ニュージャパンの会場で待ち合わせた軍司のパートナーは、即席で調達した女子大学生だったが、彼はまったく関心がなかった。
だが、周囲からは評判が良かったらしく、しきりに彼女に話しかける寮生がいたので、彼らに任せていた軍司は、会場で話をする機会があった時に、艶子に言われた。
「軍司君の彼女は美人ね。もっと大事にしてあげなければ駄目よ。悲しそうにしているわ」
「いいんですよ、今晩のパーティー限りですから」
艶子は、怖い顔をして軍司を睨んだが、その目は微笑んでいた。
「それより、あまりダンス知らないんです。教えて下さい」
自分より年上だと思っていたから、甘えるように言った。
艶子は、何も言わずに笑って頷いた。
ダンスをしている間、何を話したのかまるで憶えていなかった。
ただ、パーティーが終わって解散する時に、艶子から軍司に握手をしに来た。
「今夜は楽しかったわ。ありがとう」
艶子とのはかない哀しい恋の始まりだった。