第四十五章 言葉の罠(6)−悪魔の正体

“はじめに言葉ありき”ではなく、
“はじめに沈黙ありき”であった。
言い換えれば、
“はじめに「あ」ありき”ではなく、
“はじめに「ん」ありき”であった。
更に言い換えれば、
“はじめに健康ありき”ではなく、
“はじめに病気ありき”であった。
そして、
言葉の人間社会では、
“はじめに神ありき”ではなく、
“はじめに悪魔ありき”であった。
では、
音の自然社会では、
神はどんな音で、悪魔はどんな音なのだろうか?
拙著「神の追放(悪魔のすすめ)」の「はじめに」と「おわりに」を引用してみよう。

はじめに
神とは一体どんな存在なのでしょうか?
人知を超えた存在が最も一般的な理解でしょう。
宗教の世界では、神は自分に似せて人間を創造したとよく云います。
まさに神格化とは、神の人格化と云うわけですが、現代社会においては最早稚拙としか言えません。
人知の及ばぬ世界が神の世界というならば、宇宙の中には、神の世界がそれこそ遍在するでしょう。
まさに、
神とは、
遍在している者に他ならないのです。
言い換えれば、
神とは全体に他ならない。
ところが、
宗教とは、本質的に排他的なのです。
そうでないと、宗教戦争など起こるわけがない。
つまり、
(自分たちの)神一元が、宗教の本質なのです。
ところが、
神一元の概念だけでは辻褄が合わないので、悪魔の概念をも許容せざるを得ないのです。
神の存在を絶対視する宗教が、
なぜ悪魔の存在をも許容しなければならないか?
なぜならば、
神は遍在しているからです。
平たく言えば、
神は何処にもおられるわけです。
逆に言えば、
何処にもおられるからこそ神であるわけです。
つまり、
神など何処にもいないからこそ神と云うのです。

おわりに
何処にもおられる遍在する神とは、
何処にもおられないということと同じです。
平たく言えば、
あなたの神とわたしの神が同じ神など決していないのです。
あなただけの神はいるでしょう。
わたしだけの神はいます。
この事実が、
宗教(信仰)という言葉を受け入れる絶対条件です。
神という言葉を受け入れる絶対条件です。
わたしたちひとり一人の人間が、この事実を真理として受け入れたときはじめて、
天皇、皇帝、国王、大統領、総理大臣、社長、父親、母親とは、神若しくは教祖の代名詞であり、
一方、
国民、奴隷、大衆、社員、子供とは、信者の代名詞になっている呪縛から解き放たれるのです。
現代人間社会がそうならない限り、母親が子供を殺す現象は、ますます、増えていくでしょう。
まさに、
既存宗教の寄って立つ神という存在を、わたしたち人間社会から追放しない限り、人類という種は最終的には共食い争いの果て、絶滅するでしょう。
その鍵を握っているのが、神が単なる不在概念に過ぎないとする、実在する悪魔の存在を如何に受け入れるかに掛かっているのです。
ただし、“悪魔”という言葉は人間が勝手に捏造した言葉であるだけで、宇宙の世界(自然社会=地球)では“本質”であることを念頭に置いての、“悪魔(本質)のすすめ”であることを指摘して〆ることにいたします。