第九十四章 死の収斂された象徴が息

死を知った我々人間は、死の意味を知るしか道はない。
つまり、
死を知った我々人間は、絶対三元(超対性理論)の世界に進化するしか道はない。
一方、
死を知らない自然社会の生きものは、死の意味を知る必要はない。
つまり、
死を知らない自然社会の生きものは、絶対一元(絶対性理論)の世界で止まっていればよい。
まさに、
絶対性の世界が実在である所以がここにある。
まさに、
相対性の世界が映像である所以がここにある。
まさに、
絶対性の世界が静止である所以がここにある。
まさに、
相対性の世界が運動である所以がここにある。
そして、
絶対性の世界と相対性の世界との橋渡しをしているのが、絶対性の死と相対性の死に他ならない。
そして、
橋渡しの本質からして、入り口と出口がある。
つまり、
死には、
入り口と出口がある。
つまり、
超対性の死=静止の世界への入り口
絶対性の死=静止の世界からの出口
相対性の死=静止の世界からの出口
に他ならない。
逆に言えば、
超対性の死=運動の世界からの出口
絶対性の死=運動の世界への入り口
相対性の死=運動の世界への入り口
に他ならない。
まさに、
吐く息=絶対性の死
合間=超対性の死
吸う息=相対性の死
が収斂された象徴に他ならないのである。