第九十二章 死を知る意味(1)

我々人間は、過去・現在・未来に想いを馳せて生きているから錯覚しているのである。
逆に言えば、
自然社会の生きものは、『今、ここ』を生きているから、覚醒しているのである。
まさに、
我々人間は、不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶で生きている証左である。
まさに、
自然社会の生きものは、完全(完璧)な潜在能力=完全(完璧)な五感機能=完全(完璧)な肉体=完全(完璧)な記憶で生きている証左である。
従って、
我々人間は、本音と建前の二本立ての生き方をしている証左である。
従って、
自然社会の生きものは、本音一本立ての生き方をしている証左である。
つまり、
我々人間は、嘘をつく生きものである証左である。
つまり、
自然社会の生きものは、嘘をつかない生きものである証左である。
言い換えれば、
我々人間は、部分観で生きている証左である。
言い換えれば、
自然社会の生きものは、全体感で生きている証左である。
つまり、
我々人間の一生は、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))
→ 
超対性の死(極(pole)=π(180度))=不完全(不完璧)な死
→ 
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))
=いわゆる生
という振り子運動になっている証左である。
つまり、
自然社会の生きものの一生は、
超対性の死(極(pole)=0π(0度))=完全(完璧)な死=いわゆる誕生
→ 
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))
→ 
超対性の死(極(pole)=π(180度))=不完全(不完璧)な死
→ 
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))
→ 
超対性の死(極(pole)=2π(360度))=完全(完璧)な死=いわゆる死
という円回帰運動になっている証左である。
従って、
我々人間は、運動の世界を生きている証左である。
つまり、
我々人間は、映像の世界を生きている証左である。
従って、
自然社会の生きものは、静止の世界を生きている証左である。
つまり、
自然社会の生きものは、実在の世界を生きている証左である。
言い換えれば、
我々人間は、相対二元(相対性理論)の世界を生きている証左である。
言い換えれば、
自然社会の生きものは、絶対一元(絶対性理論)の世界を生きている証左である。
まさに、
我々人間は、死を知っている証左である。
まさに、
自然社会の生きものは、死を知らない証左である。