第八十八章 暗闇=覚醒の張本人

光こそが、我々人間の錯覚の張本人に他ならない。
言い換えれば、
光速度=絶対(一定)速度こそが、我々人間の錯覚の張本人に他ならない。
つまり、
光速度一定の原理こそが、我々人間の錯覚の張本人に他ならない。
つまり、
相対性理論こそが、我々人間の錯覚の張本人に他ならない。
なぜなら、
自然社会の生きものは、本音一本立ての生き方をしている。
なぜなら、
自然社会の生きものは、嘘をつかない。
その理由は、
自然社会の生きものは、時差があると知っているからである。
そして、
自然社会の生きものが、時差があると知っているのは、光速度=相対(変動)速度に起因しているからである。
従って、
自然社会の生きものの嘘をつかない人生とは、光速度=相対(変動)速度に起因しているからである。
結局の処、
自然社会は、光速度=相対(変動)速度に起因しているのである。
逆に言えば、
自然社会は、光速度一定の原理に反しているのである。
結局の処、
自然社会は、相対性理論に反しているのである。
逆に言えば、
相対性理論は、自然社会に反しているのである。
まさに、
相対性理論とは、部分観に他ならないのである。
だから、
死を知らない自然社会の生きものは、死を怖れるべくもないのである。
結局の処、
我々人間の人生が逆さまになった原因は、
絶対性の死と相対性の死が逆さまになったからである。
つまり、
円回帰運動の一生では、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))が、朝眠りの中の夢から覚めた瞬間(とき)に他ならない。
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))が、夜眠りに就く瞬間(とき)に他ならない。
つまり、
時差があると知ることは、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))が、朝眠りの中の夢から覚めた瞬間(とき)であることを知ることに他ならないのである。
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))が、夜眠りに就く瞬間(とき)であることを知ることに他ならないのである。
ところが、
振り子運動の一生では、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))が、夜眠りに就く瞬間(とき)であった。
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))が、朝眠りの中の夢から覚めた瞬間(とき)であった。
つまり、
時差がないと見えることは、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))が、夜眠りに就く瞬間(とき)であると錯覚することに他ならないのである。
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))が、朝眠りの中の夢から覚めた瞬間(とき)であると錯覚することに他ならないのである。
まさに、
光こそが、錯覚の張本人に他ならないのである。
逆に言えば、
暗闇こそが、覚醒の張本人に他ならないのである。