第八十四章 時差

我々人間の一生は、どこかで逆さまになってしまった。
言い換えれば、
我々人間だけが、全体感を忘却し、部分観で生きるようになった。
つまり、
部分観で生きている我々人間は、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶によって、
超対性の死(極(pole)=0π(0度))=完全(完璧)な死=いわゆる誕生
および、
超対性の死(極(pole)=2π(360度))=完全(完璧)な死=いわゆる死
が欠落してしまった。
その原因は、
我々人間が視覚動物であるからだ。
言い換えれば、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶の原因は、不完全(不完璧)な視覚に収斂する。
従って、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶=不完全(不完璧)な視覚とは、「光速度一定の原理」が原因なのである。
言い換えれば、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶=不完全(不完璧)な視覚とは、「相対性理論」が原因なのである。
平たく言えば、
見えるものだけが、時差がないように錯覚するからである。
なぜならば、
光速度だけが、一定(絶対)速度だからである。
逆に言えば、
時差がないように錯覚することが、想いのギャップ(分裂症状)を生むのである。
言い換えれば、
時差がないように錯覚することが、本音と建前の二本立ての生き方になるのである。
一方、
聞こえるものは、時差があると実感できる。
なぜならば、
音速度は、変動(相対)速度だからである。
逆に言えば、
時差があると実感できることが、想いのギャップ(分裂症状)を生まないのである。
言い換えれば、
時差があると実感できることが、本音一本立ての生き方になるのである。
また、
匂えるものは、時差があると実感できる。
なぜならば、
臭速度は、変動(相対)速度だからである。
逆に言えば、
時差があると実感できることが、想いのギャップ(分裂症状)を生まないのである。
言い換えれば、
時差があると実感できることが、本音一本立ての生き方になるのである。
また、
味わえるものは、時差があると実感できる。
なぜならば、
味速度は、変動(相対)速度だからである。
逆に言えば、
時差があると実感できることが、想いのギャップ(分裂症状)を生まないのである。
言い換えれば、
時差があると実感できることが、本音一本立ての生き方になるのである。
また、
触れるものは、時差があると実感できる。
なぜならば、
触速度は、変動(相対)速度だからである。
逆に言えば、
時差があると実感できることが、想いのギャップ(分裂症状)を生まないのである。
言い換えれば、
時差があると実感できることが、本音一本立ての生き方になるのである。
まさに、
光速度が一定(絶対)であることが、想いのギャップ(分裂症状)を生んでいるのである。
まさに、
光速度が一定(絶対)であることが、本音と建前の二本立ての生き方の原因になっているのである。