第八十章 夢と覚醒

部分観で生きている我々人間は、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶によって、
超対性の死(極(pole)=0π(0度))=完全(完璧)な死=いわゆる誕生
および、
超対性の死(極(pole)=2π(360度))=完全(完璧)な死=いわゆる死
が欠落してしまったのである。
その結果、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))
→ 
超対性の死(極(pole)=π(180度))=不完全(不完璧)な死
→ 
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))
=いわゆる生
という振り子運動の一生になってしまったのである。
まさに、
全体感の生き方が円回帰運動であるのに対して、部分観の生き方が振り子運動に他ならないのである。
特に、
視覚動物である我々人間にとって、
不完全(不完璧)な潜在能力=不完全(不完璧)な五感機能=不完全(不完璧)な肉体=不完全(不完璧)な記憶によって夢を見るようになったのである。
つまり、
視覚動物である我々人間にとっては、
記憶は映像(光景)なのである。
だから、
夢は見るものなのである。
一方、
嗅覚動物である犬にとっては、
記憶は匂いなのである。
だから、
夢は匂うものなのである。
他方、
生れつき盲目である人間にとっては、
記憶は音なのである。
だから、
夢は聞くものなのである。
つまり、
不完全(不完璧)な五感機能が不完全(不完璧)な記憶を惹き起こす。
その結果、
夢を惹き起こすのである。
従って、
完全(完璧)な五感機能は完全(完璧)な記憶を惹き起こす。
その結果、
覚醒を惹き起こすのである。
つまり、
夢とは覚醒の不在状態に他ならないのである。
逆に言えば、
夢の不在状態が覚醒に他ならないのである。