第七十六章 想いのギャップ(分裂症状)

我々人間は、視力の潜在能力を100%発揮できていない結果、想いのギャップ(分裂症状)が生じるのである。
では、
想いのギャップ(分裂症状)とは、一体何者であるのか?
新田哲学の核にある三つの法則を思い出してもらおう。
(1) 全体と部分の相対性の法則
(2) 二元論
(3) 「考え方」と「在り方」
つまり、
137億年前にビッグバンという大爆発によって運動しはじめた、我々人間が宇宙と称する世界は、全体感と部分観という相対二元要因の関係を維持するようになった。
言い換えれば、
銀河も恒星も惑星も衛星もすべて自転、公転運動をしているのは、全体感と部分観という相対二元要因の関係を維持している結果なのである。
そして、
全体感=『在り方』に他ならない。
部分観=『考え方』に他ならない。
そこで、
知性を得た我々人間は、全体感=『在り方』を忘却して、部分観=『考え方』だけで生きるようになった結果、想いのギャップ(分裂症状)が生じたのである。
つまり、
相対二元論の生き方に他ならない。
一方、
知性を得ていない自然社会の生きものは、全体感=『在り方』だけで生きているから、想いのギャップ(分裂症状)が生じないのである。
つまり、
絶対一元論の生き方に他ならない。
従って、
絶対一元論(絶対性の法則)→相対二元論(相対性理論)→絶対三元論(超対性理論)という円回帰運動を完結するためには、我々人間は、相対二元論(相対性理論)→絶対三元論(超対性理論)へ更に進化しなければならないのである。
まさに、
想いのギャップ(分裂症状)とは、
全体感(『在り方』)と部分観(『考え方』)の間のギャップに他ならない。
平たく言えば、
本音と建前の間のギャップに他ならない。
結局の処、
我々人間だけが、本音と建前の二本立てで生きている原因がここにある。
その結果、
我々人間だけに想いのギャップ(分裂症状)が生じたのである。
その結果、
我々人間だけに、
超対性の死(極(pole)=0π(0度))=完全(完璧)な死=いわゆる誕生
および、
超対性の死(極(pole)=2π(360度))=完全(完璧)な死=いわゆる死
が欠落してしまったのである。
言い換えれば、
我々人間の一生が、円回帰運動ではなく、振り子運動になってしまったのである。
更に言い換えれば、
我々人間の一生が、錯覚の人生、逆さまの人生になってしまったのである。
更に言い換えれば、
“生が好くて、死が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
そして、
“善が好くて、悪が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“オスが好くて、メスが悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“強が好くて、弱が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“賢が好くて、愚が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“富が好くて、貧が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“幸福が好くて、不幸が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“天国が好くて、地獄が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“神が好くて、悪魔が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“健康が好くて、病気が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“支配者が好くて、被支配者が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
また、
支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会になったのである。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる社会になったのである。
差別・不条理・戦争を繰り返す社会になったのである。