第六十一章 完全(完璧)と不完全(不完璧)

全体感で生きている自然社会の生きものは、覚醒している。
だから、
彼らは、潜在能力を100%発揮できているのである。
つまり、
彼らは、完全(完璧)な生を生きているのである。
だから、
彼らは、完全(完璧)な死で死んでゆくのである。
つまり、
完全(完璧)とは、知らないことに他ならない。
一方、
部分観で生きている人間社会の我々は、眠っている。
だから、
我々人間は、潜在能力を100%発揮できていないのである。
つまり、
我々人間は、不完全(不完璧)な生を生きているのである。
だから、
我々人間は、不完全(不完璧)な死で死んでゆくのである。
つまり、
不完全(不完璧)とは、知ることに他ならない。
だから、
死を知った(知性を得た)我々人間は、死に怯えているのである。
だから、
死を知った(知性を得た)我々人間だけに、
“生が好くて、死が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
そして、
“善が好くて、悪が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“オスが好くて、メスが悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“強が好くて、弱が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“賢が好くて、愚が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“富が好くて、貧が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“幸福が好くて、不幸が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“天国が好くて、地獄が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“神が好くて、悪魔が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“健康が好くて、病気が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
“支配者が好くて、被支配者が悪い”という区分け(差別)意識が生まれたのである。
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だから、
死を知った(知性を得た)我々人間社会だけが、
支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる社会
差別・不条理・戦争を繰り返す社会
になったのである。