第四十一章 “生きる”とは

我々人間は、
誕生(始点)→生(円周)→死(終点)という円回帰運動を自己の一生と捉えてきた。
つまり、
超対性の死(極(pole)=0π(0度))を
“誕生”と捉えてきた。
そして、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))
→ 
超対性の死(極(pole)=π(180度))
→ 
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))
を“生”と捉えてきた。
そして、
超対性の死(極(pole)=2π(360度))
を“死”と捉えてきた。
そこで、
“生”、つまり、“生きる”ということは、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))
→ 
超対性の死(極(pole)=π(180度))
→ 
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))
ということに他ならなかった。
言い換えれば、
“生”、つまり、“生きる”ということは、
一日の死(絶対性の死)

反転期(超対性の死)

一年の死(相対性の死)
の繰り返しに他ならなかった。
更に収斂して言い換えれば、
“生”、つまり、“生きる”ということは、
息を吐く(絶対性の死)

合間(超対性の死)

息を吸う(相対性の死)
の繰り返しに他ならなかった。
だから、
生まれた瞬間(とき)に、おぎゃ!と息を吐き、
死ぬ瞬間(とき)に、息を引き取る(吸う)のである。