第百章 実在の宇宙

ブラックホールやホワイトホールの存在性が証明されるには、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”が実在するかどうかに掛かっていることになる。
そして、
“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”が実在することが証明されれば、暗闇の速度が無限速度である証明になる。
逆に言えば、
有限速度(秒速30万キロ)の光も、所詮は、相対(変動)速度であって、絶対(一定)速度ではない逆証明になる。
つまり、
“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”が、映像宇宙である逆証明になる。
平たく言えば、
137億光年の拡がりを持つ我々の宇宙が、映像宇宙に過ぎないことの逆証明になる。
更に平たく言えば、
昼間起きているいわゆる現実の世界が、映像の世界に過ぎないことの逆証明になる。
そして、
第九十七章【死の意味】で論じたように、
超対性の死こそが、静止宇宙への入り口である。
つまり、
超対性の死こそが、ブラックホールへの入り口である。
一方、
絶対性の死、相対性の死こそが、運動宇宙への入り口である。
つまり、
絶対性の死、相対性の死こそが、ホワイトホールへの入り口である。
従って、
超対性の死こそが、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”が実在するかどうかの証明になる。
逆に言えば、
絶対性の死、相対性の死こそが、“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”が映像であることの証明になる
まさに、
超対性の死こそが、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”の実在性の証明になる。
まさに、
絶対性の死、相対性の死こそが、“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”の映像性の証明になる。
平たく言えば、
いわゆる誕生とは、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”からの出口である。
逆に言えば、
いわゆる誕生とは、“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”への入り口である。
一方、
いわゆる死とは、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”への入り口である。
逆に言えば、
いわゆる死とは、“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”からの出口である。