第七章 混乱の世界

わたしが降り立った日本の地も当時は、やはり報告を受けていた通り人間同士が殺し合いをしていました。
人間が集中して住んでいる地域は日本だけではなく、地球上でみんな殺し合いをしているようでした。
特にヨーロッパ地域はローマ帝国が滅び、小国が分立してローマ帝国の後の覇権争いが激しく、そこに生物として始めて武器を発明した人間の知恵がどんどん進歩し、この時代に画期的な技術がこのヨーロッパの地域でたくさん発明され、その勢いでアフリカ大陸とユーラシア大陸に住む人間を食い物にしているのです。
一方 この日本は文明もヨーロッパ並のものを持っているし、経済力も黄金の大産地で、この頃より物々交換から貨幣制度が構築されていく中で、恵まれた国だったと思います。
その日本でも、お互い殺し合いをしている。
ヨーロッパの国々みたいに、他の国を侵略して暴行・略奪をすることはしていないが、仲間同士で殺し合いをしている。
人間同士の殺し合いは、わたしが地球上に生物を創ったとき肉体という生命には限りあるものとしたことに深く関わっているのです。
地球という物体が運動する上で必要なエネルギーは、わたしが毎日回転しながら地球の中心に落下し、そこから表面に再び出てくるときに、地球の中心にあるエネルギーを一緒に運んできて供給しているのです。このエネルギーは地球が父である太陽から生まれるときに地球が一生、生きていけるだけのエネルギーを蓄積してくれていたのです。それをわたしが毎日運んでいるのです。
生命体を地球上に創ったとき、同じ方法も考えたのですが、生命体の種類や数をあまりに多く創ったために、それぞれの体に一生のエネルギーをストックするには膨大な労力が要る、ついわたしの怠慢な心で、お互いに供給し合う方法を考えたのです。最初はいいアイデアだと自慢していたのですが、やはり所詮、地球を支配する程度の「想い」の浅知恵だったのです。
お互い、肉体を与え合うつもりで考え出したものが、殺すという概念に変わってしまったのです。そこから死というものの概念も必然生まれ、生あるものは必ず死ぬという真理が生まれたのです。
ところが他の生命体は死という概念を持っていなかったのですが、人間だけが死というメカニズムを理解する知力があったのです。生命には限りがあることを知ったのです。そうするとそこに恐れが生じる。死にたくないという思いが生じる。
わたしは、単に肉体に必要なエネルギーの循環システムと考えたのですが、それが死を知った人間に生き残りの欲望が生み、そこから殺すという行為の概念が生まれたのです。
わたしにとって、殺すという言葉は適切ではないのです。
エネルギーの循環システムのつもりだったのです。
だが、わたしの自慢のアイデアを人間が木っ端微塵にしてしまった。
そのエネルギーの循環システムには何ら関係のないところで無駄な殺し合いをしている。生き残り・保存欲から無駄な殺し合いをしている。
その有様を見て、わたしは呆然としたのです。
またまた、わたしのミスだったのです。
よくよく考えてみると、わたしがミスを犯したことをいつも指摘しているのが人間という怪物だったのです。
「お前の考え出したことなど、チョロイもんだ」と人間がわたしを、あざ笑っているのです。
だけどその人間を創ったのは他ならずこのわたしなのです。
呆然とするのも当たり前だと思いませんか。
父のヒカリや兄のミズやクウたちも、多分わたしのことを情けない奴だと思っているだろうと、思うと本当に自暴自棄になるような気分でした。