第四十六章 悪の根本原因

今までのこの50年から100年の間に人間のやってきたことを振り返って見ますと、わたしも驚くほどの非道であります。
しかし、これも人間の背負わされた宿命ではないかと最近思うようになってきました。
たしかに、非道極まりないことをしてきた人間ですが、それで人間すべてが極悪だと断定していいものでしょうか。わたしは、そうは思いません。
人間を善悪で区分けすることが間違っているのではないでしょうか。
人間を強弱で区分けした方が正しい判断ができるように思うのです。
極悪非道を重ねてきた人間は強い人間なのであって、本人たちは決して悪いことをしているとは思っていないのです。
逆に弱い人間は、善人のように見せかけているだけで、実は自分も強くなれば同じことをやる可能性を充分持っているのに、そうは思っていないのです。
要するに、強い、弱いだけなのに、勝手に悪、善にすりかえているのです。
しかもすべての人間は自分のことを決して悪だとは思っていない、善だと思っている。
ただ強い善と、弱い善だと思い込んでいる。
もちろん極端な非道は、自己認識はあるでしょうが、これは麻薬中毒患者の症状と同じで、最初は大意はなかったのが知らぬ間に中毒になってしまう。これはいけないことだから、もうやめなければならない、と思っても中毒から抜け出せない。これも弱さ故の成り行きなのです。
結局のところ、弱さから悪という観念を生まれるのであって、強さからは悪という観念は生まれないのが真理のようです。ところが悪は強さを養うところが難儀なところです。
そうすると、先ず弱さから始まって悪が生まれ、悪が強さを生む、悪が生んだ強さは善には変貌できないから、ますます悪を増大していく。この悪循環は人間の今までやってきた極悪非道につながっているように思います。
最初に絶対なる強さがあれば、そこからは悪の観念は生まれません。逆に強いが故の他に対する思いやり、すなわち善が生まれるはずです。
人間の生まれもっての本質はそこにあるように思えてならないのです。どんな人間でも自分のした行為が他の人間を喜ばすことになった時、何とも言えない悦びを感じるはずです。
それが強さの善循環だと思うのです。
しかし、今までの人間のやってきたことは、弱さの悪循環の結果であった。原因は弱さにあった、ということは大半の普通の人間が悪の原因の根源だとは言えませんか。
今まで極悪非道をやってきた人間たちは実はもともと弱い人間だったのです。
弱い人間が悪の道に入ると、もう抜け出せないからますます悪にはまり込む。強い人間だったら悪の誘惑にも負けないし、仮に悪の誘惑に負けても抜け出す力を持っているから歯止めが効くのです。
そうすると、テンシのやろうとしていることは根本的解決にはならない。一時的抑止になっても、悪循環の予備隊がうしろにワンサと控えている。
この予備隊を醸成している大半の弱き人間をどうにかしなければ根本解決にはならないし、結局テンシのやろうとしていることでは、逆にテンシが根負けすることになる。
イクサの話だと、テンシは処罰リストをつくってルンルンとしているらしい。
何とか早急にテンシと会わなければならないと気持ちは褪せるのです。