第四十一章 殺戮のクライマックス(1)

前章では誠にみっともない醜態をお見せしまして申し訳ございませんでした。
少し寝不足気味だったものですから余計な恥をさらしてしまいましたが、かえって神といえどもこんな程度のものだと認識していただいた方がよかったと思っています。
あまり長口上していると、また前章の二の舞になってはいけませんので早速本題に入っていきたいと思います。
アメリカから発した大恐慌が次の第2次世界大戦を生んだと言っても過言ではありません。
しかし、ここで念を押しておかなければならないのは、この大恐慌も、第2次世界大戦もでっちあげであったことを先に申しあげておきます。
まず皆さんもよくご存じの第2次世界大戦、これも第1次世界大戦と同様、何も世界全体が戦争をしていた訳ではありません。
もしこれらを世界大戦というならば、最近の例で言うならば湾岸戦争もベトナム戦争も世界大戦と言わなければならないでしょう。極端に言えばすべての局地戦争もすべて世界大戦というべきでしょう。
世界大戦という本来の定義は、右と左でも、赤と白でもなんでもよい、一番例として分かりやすいのは日本の関ヶ原の合戦みたいなものが世界の大多数の国が参戦して雌雄を決するような戦争を言うはずです。
そんな戦争は未だかつてないのです。また起こるはずもないのです。起こる可能性があったとしたならば、アメリカとソ連との右・左に分かれての決戦でしょうが、よくよく考えてみれば、これも最初から有り得なかったのではないのでしょうか。だから訳の分からない冷戦という言葉になったのだと思います。
結局アメリカとイギリスが第1次では国際連盟、第2次では国際連合という、これも理屈に合わない機関をつくって、そこで決議をしたら世界の合意で戦争になったから世界大戦と言っただけのことです。
要はアメリカ・イギリスが、自分の都合のいいように特定の戦争を世界大戦にしただけなのです。
そして自分たち側に正義があると決めつけたかったのです。彼らが善、敵国側が悪と決めつけるためです。
ところがその後の国連でソ連と中国が常任理事国に入って拒否権を持つと、世界大戦と言えなくなった。それがベトナム戦争であり、湾岸戦争であったので、もしその牽制する力が台頭していなかったら、もう世界大戦は第10次世界大戦ぐらいまでいっているでしょう。
これだけの多くの国と5千を超える言語と何千という民族が存在して世界戦争なんて起こり得ないのです。
だから世界大戦と命名したときから勝者は決まっていたのです。だからでっちあげだと申しあげたのです。
ヨーロッパ白人社会の帝国主義植民地政策が、植民地だった諸国が独立した後も現在まで続いているのです。
それと冷戦という訳の分からない戦争です。これもでっちあげだと思います。
ただ彼らにも予測の出来ないことが起こることもある。つまり冷戦はソ連とアメリカの世界分割支配が狙いだったのが、そこへ中国が噛んできた。これが彼らにとって思惑通りに行かなかった。しかも当初はソ連の下でコントロールされていたのが、ソ連と喧嘩してしまった。これはまったく計画になかったので冷戦という訳の分からない形態にして、何とか覇権を維持しようとしたのですが、所詮人間の浅知恵です。
ここにテンシの罠があったのです。
ベトナム戦争とアフガン戦争です。これには、両国は人間の力の本質をテンシによって思い知らされたでしょう。武力が、しかも近代兵器の武力が力の源泉と考えていたのに、原始的なゲリラ戦に敗北したのです。
日本という国があまりにも西欧化主義をとって、西欧諸国の猿まねをした結果、最後には原爆まで落とされた。
西欧諸国に対抗して、O戦だとか、戦艦大和なんてつくったのがいけなかったのです。
人間の考えや、やることは、地球レベル、ましてや宇宙レベルからみたら稚拙極まりないものだということを忘れていたのです。その昔、蒙古軍が海の向こうから日本を侵略しようとしたとき、見事に退去させたではないですか。神風が吹いたとかいろいろ言われているが、やはり当時の為政者が立派だったのです。人間を超える力があることを知っていたのです。
ゲリラ戦をやるには、そういった人間の力を超えるものがあると信じることが必要なのです。それを導く偉大なリーダーがいれば、いかなる近代兵器をもってしても無力であることを知るべきです。
その信じることが実は我々の世界の「想い」です。
この「想い」の力は原爆よりも強いことをよく肝に銘じておくことです。
だから、昔バビロンと言われた国も、また北アフリカの大佐率いる国も小国ながら、大国から目の敵にされながら存続している。
もういい加減、人間も目を醒ますべきです。人間という動物には我々の「想い」と似た心というものがある。この継続する心の発する力というかエネルギーは、原爆といえども歯が立たない。
これはひょっとしたらテンシがどこかで密かに講義をして、啓蒙活動をしているのではないかと思うのです。
次の章ではもう少し突っ込んだ話しをしてみましょう。