第三十九章 地球人類と月人間

テンシが地球に降りてから、地球はまさに殺戮の地獄絵となってきました。
多分 この100年間で1億を超える人間が同じ人間に殺されたのです。この1億を超える人間の死骸を並べると地球を5周もするほどのものです。想像してください。地球を5周する人間の死骸を。悪臭と人間の苦しむ想いで包まれた地球はもう生命体の住める場所ではありません。
いろいろなゴミが山積みされたところで、あなたは生活できますか。酸素を吸って生きている人間にとって、人間の死骸をそのままにしておくと酸化されて風化していくのです。そのとき酸素を吸収しますから、大気の酸素は当然少なくなる。だからゴミくずが山積みされたところにいると息苦しくなるのです。
その生ゴミくずが地球を5周するだけころがっているのですよ。地球自体の生態までおかしくなります。
有機生命体というのは、ある意味でなかなか精巧にできたものなのですが、死んだときが問題なのです。無機物質にも死がありますが、分解されるのに相当な時間がかかるのでまわりにあまり影響は与えないのです。特に放射性物質などは何十年、何百年もかかって分解していきますが、有機物質はその機能が停止すると、すぐに分解してしまうから処理に困るのです。
人間以外の生命体は、生と死のバランスを自然がコントロールしているので、今で言うリサイクルされてバランスがとれているのですが、人間の場合は排泄量が多すぎてリサイクルするひまがない、それに加えて死骸がこれだけ一気に出ればもう地球はゴミ捨て場になってしまう。
どうして人間という動物は、同じ仲間を平気でこれだけ殺すことができるのでしょうか。
それはテンシにも言えることです。我が子ながら理解に苦しむところがある。
ひょっとして、ヨーロッパの国教となった宗教の開祖が、神の子だと自称したのは地球の神であるわたしの子は月であるテンシと共通するところがあって、48個の法則が96個のプラス・マイナスの法則に分化すると、人間のようなマイナスのマイナスの事象の生き物が生じることを知っていて、人間すべてを代表して、自分は神の子と言ったのかも知れないと思うのです。
そう言えば、この人間が十字架にかけられた時に、すべての人間の罪を一身に引き受けて死んで行ったとか、父なる神はどうして子である自分を見捨てたのかとわたしのことを怨む言葉を吐いたのでしょうか。
人類という動物は地球の有機生命体であるが、人間というものは地球の子である月の有機?生命体,いやひょっとして無機生命体であるかも知れないと直感しました。
テンシはわたしの知らないところで、自分の肉体である月に未来住む予定の人間をわたしの地球上に創っていたのかもしれない。だからあれだけ人間のすることに口出しをするのだと考えると今までのテンシの行動が理解できるのです。
変な理屈かもしれませんが、どうも法則というか、ルールというものが増えれば増えるほど、逆に罪が増えるのも法則のひとつのようです。
人間社会でも昔に比べてルールが増えるごとに犯罪の種類が増える。ルールは罪を犯させないために罰則を決めたものなのに、皮肉にも罪が増える、そして罰も増える。
ここにも法則というか、真理のようなものが見え隠れしているようです。
本来わたしの地球上では考えられないことが人間によって為される。だから地球をコントロールするわたしが戸惑うのはここに原因があるのかもしれません。
人間は地球に住むべき有機生命体でなく、テンシの肉体である月に住むべき無機生命体であったとするならば、人間がすでに一度自分の力で月に行っているにもかかわらず、その後いっこうに月に行こうとしないのはまだ自分たちの住む場所になっていないと判断して地球にいすわっているのかもしれない、一体わたしはこの人間というものをどう扱えばいいのか。やはり最初の印象だった何かわたしには手に負えない、得体のしれない化け物ではないかと思うと背筋がぞっとしてくるのです。
いや、今ふっと思ったのですが、これはテンシの仕事であってわたしの仕事ではないのでは。だからテンシがやっきになってわたしの領域の地球にやって来て、わたしに無断でこそこそ何か理解に苦しむことをやっている理由もこの辺にあるのかもしれません。
もう少し、人間のこれからの様子とそれに対応するテンシのことを見守っていく必要があるようです。そしてその上でわたしが決断しなければならないと思うのです。