第三十五章 欲望の渦

地球上の有機生命体には本能という欲望があります。普通我々「想い」の世界ではこういったものは存在しません。
しかし地球というわたしの肉体には、本能意識というものはあります。ただ本能意識だけであって、別の言い方をすれば、法則に従って運動させられているだけです。欲望というものはありません。
この本能意識と法則についてちょっとむずかしいと思いますが説明しておかなければなりません。
これも法則のひとつですが、自分よりも次元の高い世界からは、その一次元高い要素で動かされている、すなわち自分では何も行動を起こすことは出来ないのです。そして同じ次元の要素では自分で行動を起こすことが出来る、そして自分よりも一次元低い世界に対しては、その世界に対して行動を起こし、その次元の世界は為されるままに従わなければならないのです。
肉体という概念は父の太陽レベルすなわち、宇宙に存在する無数の太陽恒星の個体性からはじめて生まれた概念なのです。そして本来宇宙の世界とは、エネルギーの変位した集合体の「想い」だけであったのに、それが分化してそれぞれの個体性の概念が太陽系恒星のレベルで生まれた結果、ガス体で出来た恒星が肉体意識を持った。しかしまだ恒星はガス体であって明確な個体性意識がなかったから本能という生まれ持った機能は必要なかったのです。そして太陽という恒星から生まれた惑星になってはじめて実体のある個体性意識が生じたのです。惑星がガス体ではなく原子量の多い物質で構成される星になったからです。
恒星ももちろん物質でできているのですが、原子量の少ない原子、つまり原子番号1の水素、原子番号2のヘリウムというガスが大半でできているのです。
一方、惑星である地球を構成している物質は大変多くの種類の原子からできています。たとえば岩石など珪素や鉄などの原子の化合物です。人間を構成している物質は非常に複雑な有機化合物、つまり水素・炭素・窒素・酸素といった原子量の比較的少ない原子のいろいろな組み合わせの化合物に原子量の多い、いろいろな物質が混合されてできている。カルシウムとかナトリウム・・・・などから鉄とかいったものまでみんな含まれています。
原子量の多い、少ないは、原子核の周りを回る電子の数で決まっています。水素が原子番号1ということは電子の数が1個ということです。だから物質の元である原子というものはどんな原子でも原子核は1個であって、電子の数で水素であったり、炭素であったり、窒素であったり、酸素であったり、鉄であったりするのです。
そのいろいろな原子の中でガス体を構成する原子は原子量の少ない原子が多いのです。原子の誕生が原子番号の少ないものから発生しているということなのですが。
何を言いたいかと言いますと、恒星は原子量の少ないガス体でできているから、まだ個体意識が無い(厳密に言えば薄い)が、原子量の多い原子でできている惑星は個体意識が有る(厳密に言えば濃い)のです。そこから強い肉体意識が生じたのです。もちろん太陽系恒星にも肉体意識は有るが非常に薄いのです。
だからわたしの肉体の地球は本能意識を強く持っているのです。ただ最初に言いましたようにそれが欲望という形にはなっていなくて、法則に基づいた動きだけなのです。
ところが、地球上のよりこまかい個体意識を持った物質になると、自我意識が強くなって、本能意識が欲望という固有のものになっていったのです。だから石にも欲望があります。その欲望を一番多く強く持った有機生命体が人間なのです。
厳密に言えば、欲望を持っているのは人間だけです。他の有機生命体も石のような無機物も欲望ではなくて本能なのです。
実は人類という動物は他の動物と同じで本能しか持っていなかったのです。
人間だけが欲望を持っているのです。だから勘違いされては困るのですが、人類と人間とはまったく違った生き物なのです。その辺を人間は今でもごっちゃにしていることが、人間の不幸の根本原因であるのです。欲望が不幸の根本原因なのです。
なぜそれなら人間にだけ欲望が生じたのか。それはわたしの責任なのです。
人類という動物の一つの種類だけにしておけば良かったのに、ついもう少し進化させた動物をと思ったのがいけなかったのです。もう少し知恵をつけさせようとしたのがいけなかったのです。それが知恵でなくて知識というまったく新しいものができてしまったのです。この知識が欲望を生んだのです。そして人間の誕生です。
このことを、一早く理解した人間がいました。人間のルーツといっていい人種です。
彼らは、人類という動物が人間に変ったことを象徴的な物語として現代まで伝えています。それは、最初に地球の土から男という人間が生まれ、その男のあばら骨から女という人間が生まれたというはしりから物語がはじまります。そしてその女が動物としての本能であった生殖機能を蛇の誘惑にのり、性欲という欲望の果実を食べる罪を犯してしまい、そして男を誘惑して同じ罪を犯させた。その罪の罰として動物の世界から追放されて人間になったと伝えています。
これはまったくその通りなのです。象徴的に表現しているだけで真相は言い当てています。わたしが欲望の原点なのです。ほんのちょっと人類を進化させたいと思ったのが、わたしの欲をつくった原罪なのです。
それ以来、人間の不幸の根本原因はすべて、このボタンのかけ間違いから発生しているのです。そういう点でのわたしの罪は計りしれない程大きいのです。
男という人間と女という人間を同じ世界に住まわせたのが最大のミスでした。
オスとメスの動物なら良いのですが、男と女という人間が一緒に住めば、これはもうどうしようもない。罪が罪をつくる連鎖反応です。原子爆弾が原子核の核分裂の連鎖反応で巨大なエネルギーをつくるように、男と女のおりなす罪の連鎖反応が巨大な罰というエネルギーを今でも間断なくつくっている、欲望という渦の中で。
このエネルギーが極大化して戦争や、差別からの迫害による大量殺戮といった罪をつくってきたし、これからもいろいろな形に変えての大罪を犯し続けるでしょう。
この原因をつくったわたしを神と崇拝する人間ですが、結局は、あの象徴的な物語を書いた人間たちが、心の底ではわたしのことを悪魔だと罵っているように思えてならないのです。彼らが自分たちを、神から選ばれた人間だと言っているようですが、どうやらわたしに罪の償いをしろという意味ではないかと思うのです。
人間たちの都合で神であるわたしをうまく利用して、そして罪を犯して自分たちの都合が悪くなるとわたしを悪魔にして責任をとらせるシステムが宗教の原点ではないかと、勘ぐりたくもなるのです。すねに傷を持つ身のわたしですから。
わたしが、どうしても人間に甘くなる気持ちも分かって欲しいのです。
しかし、罪は罪として厳しく対処しなければ結局彼ら人間同士の中でますます悲劇が生まれる危険があるので、断固とした態度で臨まなければならないと思う気持ちと相俟って複雑な境地になっているのが正直な気持ちです。
そこのところが、テンシには解らないのです。頭が痛い話しです。