第三十四章 無数の星

前の章では地球上の人間観について述べてみました。
わたしは地球という肉体を持つ「想い」ですから、つい地球のことに話しがいきますが、宇宙には銀河レベルだけでも数えきれない星が存在します。そして全銀河はどれだけあるかというと、別に我々がいる銀河系星雲や有名なアンドロメダ星雲だけではなく、人間が星占いをする水瓶座やら蟹座・・・も星雲の一つだし、星雲も数えきれないほど存在する。またそれを集めた全宇宙の存在も絶対的宇宙からみたら無数にある。
無数のものが無数にあり・・・・・。となる。
その無数の何乗かの宇宙に1個の地球がある。そして地球上の、無数の物質の中の一つとしての人間が存在する。
ふつうの人間の常識でもこれだけの星があれば、地球と瓜ふたつの星がいくらでもあって当然だし、人間と同じ生物が他のどこかの星にあって当然で、逆に地球しかないという考えの方が不自然なはずだと思いませんか。
いいですか、そんな塵よりも遥かに小さい存在の人間が、全宇宙を創造したのが神だ、GODだと言っている。そして、我が、神の子とか、神の化身とか、神の言葉を預かりし者だとか、神の生まれ替わりだとか、人間の身でありながら、のたまう輩がどんどん出てくる。しかもそれを信じている者がワンサといる。
これでは、肉体も醜くなれば心も醜くなるのは当たり前だとは思いませんか。
もう開いた口が塞がりません。それなら賭博の街で当たり番号をわたしに教えてくれという人間の方が可愛い気があります。他人さんに迷惑をかけない。自分で神を信じて勝手に自分のくだらん閃きで感じた番号に賭けては、はずれヒーヒー言っておる方が、愛嬌があります。
それを大勢の人間を集めて金を集め、立派な建物を建て、その中で宇宙の創造主はこう言われました、とか嘘八百ならべる人間と、それを聞いて涙を流して感動している愚かな人間ほどわたしから見ても醜い人間はいません。
それなら、自分を産み、育ててくれた両親やその祖先に感謝して敬い、崇拝する方が余程気がきいている。
それを、ある宗教では、肉親との交流も禁止するのがあると聞いてわたしはあきれるばかりです。
特に西欧諸国に、宗教を利用して、この世的成功をおさめているものが何百年も前から多かったのですが、最近ではこの日本にもやたら増えてきているようです。
いいですか、これも法則の一つですが、地球上の人間社会で、この世的成功をおさめた人間は97%以上醜い人間です。自己の努力による力で必然として成功する人間は3%以下しかいません。
この世的成功とは、金持ちになるとか、立派な地位に就くとか、つまり人間の本能欲を満たしてくれる立場に就いた人間はすべて心の醜い人間だと思っても間違いないでしょう。欲望を満たすためには、醜い心と醜い行いをしないと得られるものではありません。
あえて、3%の人間がいるとするなら、他の人間と違ったことをする、そしてその結果、世に貢献をする、しかし名誉や金という報酬は求めないで目立たずひっそりと独りの世界を楽しんで生きている人間でしょう。
こういった人間はなかなか見つけるのが困難です。そりゃーそうです。見つからないように生きているのですから。しかしわたしはそういう人間がどこにいるか知っています。
いることはいます。ほんのわずかですがいます。それが救いです。
今から400年ちょっと前に地球に降り立って、かれこれ200年過ぎて、やっとこの事実に気がついたのです。それまでの間は、地球のまわりを上から観察しているのと、実際に地球上に降りるのではまったく事情が違っていて戸惑うばかりでしたが、やっとわたしとして何をすべきかが、かすかに見えてきた気がします。
しかし、地球上では人間がますます悪くなっている。じっくりとやる以外ないのですが、あまりのんびりもしている訳にもいかない、とあせっているのがちょうど150年ぐらい前の地球上のわたしでした。
その頃からヨーロッパの人間の極悪非道がピークに差しかかる時期だったのです。