第三十三章 大人の美しさ

肉体というものは 歳を重ねるにつれて醜くなるようです。たしかに地球も50億年前に生まれたときは、水の多いほとんどが海の星でしたから、ミズもクウも羨しがるほど真っ青な美しい星でした。
しかし、今50億年経って、あと50億年の命ですからちょうど中年に差しかかったところで、ピチピチした跳ね返すような弾力性のある肌の張りはなくなってきました。
何かドロンとした、もうひとつスカッとしたところが感じられない。
物質というものには、それなりの寿命があって生から死への行進が法則らしい。
しかし、もうひとつの法則は、すべてのものは一方通行のベクトルではなく、両方通行が決まりというのがあります。
その法則から考えてみれば、物質が衰えていくにつれて、逆に盛んになっていくものがあるはずです。
それが、わたしたち「想い」なのです。人間で言えば「心」と言っていいでしょう。
わたしの子供のテンシを見ていると、たしかに肉体としての月は美しい。しかし「想い」のレベルでは、はっきり言って醜い面といいますか、残酷といいますか、自分の「想い」中心的なところが多いようです。
人間も子供は、純粋だと言われていますが、残酷さという点では大人は歯がたちません。自己本位のかたまりです。はっきり言って子供がダダをこねて泣いている姿ほど醜いものはありません。まわりのことなんかお構いなしで泣きわめく。大人のヒステリーもこれには脱帽するぐらい醜い。無知だから仕方ないと、大人は見逃します。それを計算して泣きわめいているガキもいます。
わたしは、前々からこのことに疑問を感じていました。それはテンシとの関りで味わったこともありますが、純粋な疑問であったことも確かです。
父のヒカリに尋ねたことがあります。
そのとき父のヒカリが答えてくれたのは、父のような自分の体のエネルギーを燃やして光りを発している星は、生まれてからずっと肉体である太陽も想いである自分も、時間の経過に関りなく美しくあり続けることが出来るのですが、惑星のように自分自身で光ることの出来ない星には無理なことだそうです。
どうやら、ここにも一つの法則があるようで、父の太陽の持つ法則は12個あるのですが、その中の一つで、それが全惑星群になって24個の法則になったときにその法則がプラスとマイナスに分化して、それがそれぞれの惑星になると48個の法則になったときに更にプラスのものがプラスとマイナスに、マイナスのものもプラスとマイナスに分化して結局太陽レベルで一つの法則だったものが惑星レベルでは4個の法則に分化されて多様化したそうです。
プラスのプラス、プラスのマイナス、マイナスのプラス、マイナスのマイナスの4種類になったのです。
この法則は非常に大事な法則ですから良く理解して欲しいと思います。
太陽レベルの法則としてこういうのがあります。
「想いを包む容器として肉体という概念がある」そしてもうひとつ「想いと肉体にベクトルが、すなわち方向性がある」
銀河や宇宙になると個体性がなくなって(厳密に言えば薄れていって)集まりになっているので「想い」はあるが肉体という概念が無いらしいのです。
この法則は、想いは生から死に向かって行くし、肉体も生から死に向かって行くという意味です。
それが地球という惑星のレベルになると、肉体と想いに美しいというプラスの要素と醜いというマイナスの要素ができ、そして盛えと衰えというプラス要素とマイナス要素もできるのです。
平たく人間の場合で言えば、時間とともに、肉体は美しさをだんだん失って醜くなっていくが、心はだんだん醜さが消えて行って美しくなって行く。と言えば理解してもらえるでしょうか。
ただ人間の住む地球ではこの法則が4種類の法則に分化されると言いましたね。
この肉体と心という二つの要素と醜いと美しいという二つの要素が4種類の事象に分けられる。
肉体も心も美しい。
肉体は美しいが心は醜い。
肉体は醜いが心は美しい。
肉体も心も醜い。
心という我々「想い」のひとつの現象であるものが人間に芽ばえたときに、人間だけにこの法則が適用されたのです。
つまり、「想い」は不変なのですが、心はころころ変る。
その心の変化によって、すなわち気持ちの持ち方次第で上の四つのどの事象にもなり得る。ということなのです。
一般的には、最初に言いましたように肉体は歳を重ねるにてつれて醜くなる。心は逆に歳を重ねるにつれて美しくなることが多いのですが、その人間の努力や気持ちの持ち方次第で肉体も心も美しくなれるし、逆に肉体も心も醜くなることもある。
これは後でまた機会があれば説明しますが、人間が生まれた時から持っている本質と、生まれたときから、自分自身からも、また他人からも常に与え続けられる条件づけによる人格とのバランスのとれた生長にかかってくるのです。
普通の人間の本質は、5ー6才で本質の成長は止まってしまう。いっぽう人格はそのあたりから成長しだす。この二律背反が問題なのです。
いかに本質と人格がバランスよく成長できるかがポイントなのですが、これが不可能に近い。
教育を良く受け、自らも知識、知性の啓発に努力すると人格は磨かれるが逆に本質の成長の邪魔をして止める。一方知性も教養もない人間ほど本質の成長の可能性は高いが、知性がないと結局本質の成長も可能性だけで止まってしまう。
ここが人間の悩みの根本原因なのです。
大人になっても、人格は磨かれるが生まれ持った本質は5−6才の子供と変わらない。
子供と決定的に違う大人になるためには、人格形成に必要な知性、知識を以って、本質の成長の修練をすることで、自己本位の子供の心から脱し、ずる賢い大人の心の道を選ばず、美しい心を持った大人に成長できるのです。そうすると修練によって自ら、肉体も美しさを保つことが出来、まさに心も肉体も美しい大人になれるのです。
これは、相当修練する時間が必要になるので子供には無理なことなのです。
人間の世界で、特に宗教上の言葉で悟りとか、解脱とか言っているのは、何もややこしいことではない。美しい心とそれを包み込む美しい肉体を持てるように修練することなのです。しかし言うは易し、行うは難しで、これが人間にとっては至難の技なのです。
わたしは、人間全員にこうなって欲しいと願うのです。