第三十一章 原罪

地球を旅して分かったことは、宇宙の法則から逸脱して罰を受けている人間という怪物は、実は哀れな犠牲者なのかもしれないということでした。
我々と同じ「想い」というものの存在を知ったために、他の動物なら自然と一体に生きておればいいのに、考える力を持ったために、思考が出来、それが連続的になると「想い」になる、そして肉体とまったく違ったものなのに、肉体の中に閉じ込められる。
「想い」の存在を知りながら、自由にならない。これでは精神が分裂しても仕方がない。
では、なぜ人間だけがそういった存在になってしまったのでしょうか。
その疑問を解いてくれる鍵は罪の問題意識にあるのです。
他の有機生命体には一切罪意識はない。一方宇宙にあるエネルギーの変位したものとしての我々「想い」には罪意識がある。
これは当然のことで宇宙の法則のひとつですが、支配というか制御というかコントロールする側には責任がついてまわる。コントロールされる側には、責任はない。
責任のないものには、罪は生じないのは当たり前で、責任のある我々には完璧でない限り、つまり失敗するたびに罪意識が生じる。まして絶対宇宙ならば法則は「一定量」一つだからシンプルで間違いもほとんどない、絶対にないとは言えないとわたしは思っていますが、わたしのとやかくいうレベルの世界ではありませんし、とりあえず有限の世界の果てであって、その向こうにある?の世界を無限と定義すると、その境界の世界なので、これだ!とは言えない。
何を言おうとしていたのでしょうか?
ああそうそう、間違いを犯すのが法則の数と比例するということを言いたかったのです。
わたしが守らなければならない法則は48個もある。守るという言い方より法則を破って、しっぺ返しを受けるのが罪意識なのです。法則は絶対に守らされるのですから結局自分で法則に会わないことをして、その反作用を受けているだけのことで、誰かが罰している訳ではなく一人で踊っているだけのことなのですが、よく法則を破るミスをします。そのたびに罪意識を感じるのです。
コントロール(支配)することと責任とは表裏一体なのですから、仕方ないことなのです。
ところが人間は、わたしに支配される側なのに罪意識を持たされたのだから、可哀想なものです。
有機生命体を支配しようと思ったからそうなったのですが、それはしょせん幻想で地球上のすべてをコントロールしているのは、このわたしなのですから、考えてみればわたしの責任をひっかぶっているようなものです。だからどうしても人間には甘くなるのです。
いずれテンシもわたしの地球よりも多い96個の法則の下、月という肉体をコントロールしなければならなくなったとき思い知るでしょう。親になるということは子供には分からないことがたくさんあるけれど、自分が親になってみて初めて分かるのです。まだテンシには子供がいないので分からないのです。
人間は本来自分自身に対しても、ましてや他のなにごとに対してもコントロール出来るような存在ではないのです。コントロールされるものにとってはすべての現象、出来事は起こるもので、自分たちで何かを為すことは一切ないのです。
それなのに罪意識だけがあるから、犯罪を犯す決定権はないのに罪を犯し、罰を受けるのだから、たまったものではないでしょう。
そのジレンマから、それぞれの人間がつい逃げたくなって自分たちの都合のいい妄想の神を創ったのです。まあ、だから彼らの創った神の種類の多いこと、数えきれないぐらいあります。そりゃ-当然でしょう。人間が増えれば増えるほど彼らの神も増えるのですから。それなのに神は唯一だと主張している宗教組織がたくさんある。ばかばかしくて怒る気にもなりません。そして自分たちの都合の悪いことをして罪意識を感じると唯一の神の原罪などとのたまわる。何をかいわんやです。
その点、地球のへその日本はまだ知恵がある。たくさんの神をつくって罪意識の分散をしておる。そうしたらわたしも対応が楽になるからつい彼らの問題から解決してやろうと思うのは神情として当然でしょう。
それを、わたしではなく自分たちの都合で創った神に原罪だと言って押しつける。そんな人間に神情が出ると思いますか。
どうか、このシンプルな原点を忘れないで欲しいのです。