第三十章 神の功罪

宇宙の星という肉体を支配する我々「想い」でも時には喧嘩をします。
しかも親子喧嘩もする。喧嘩をしている時はやはり感情的になって理性を無くするし、相手を憎らしく思う、そして相手を殺したいと思うこともあるのです。
今回のテンシとの親子喧嘩でも、テンシもわたしも相手を殺すまではいかなくても、傷つけることは分かっていてやっている。
我々の世界でも、こんなものです。
ただ、我々の世界の「想い」のすべてが良心を備えている、そこが人間と違うところなのです。
人間は良心を持っていると勘違いしているだけで、実際にはほとんどの人間が良心を持ち合わせていないのです。
良心と道徳の違いを説明しましたように、本来の絶対なる「想い」はひとつでありそれが分化していってわたしの地球まで来ますと有機生命体の一番進化したものとして人間が存在し、その人間が法則のひとつとして持たなければならないのが良心であるのに、その良心を持った人間が3%しかおらず、逆にそれぞれの考えや経験など、その人間だけが持つ価値観である道徳しか持ちあわせていない人間が、残りの97%であるのが実体です。
その人間の数だけある違った道徳観が相克するところに悪が生まれ、罪が生じるのです。
ところが、我々には共通する良心をみんなが持っているから、相克という摩擦が生まれない。だから当然、悪も生まれない。
しかし、感情はあるから怒り、憎しみ、喜びや悲しみはある。そこから罪は生じるのです。
人間は感情があり、良心がない。その結果さきほども言ったように悪が生まれ、罪も生じる。
我々も人間も罪はつくるのです。ただ罪は絶対に悪からだけ生じるものではない、善からも罪は生じるのです。
我々一家の50億年は善なる想いから罪をつくってきた歴史なのです。
それほどに罪というものの扱いは難しい。
この地球上でわたしの犯した罪は数えきれないほどあるのです。ただ悪意は無く、すべて善意からのものですが、結果が良いものばかりとは限らない、どちらかというと悪い結果の方が多い。これが功罪なのです。
地球の神として、今まで功罪を振り返ってみると罪の方が遥かに多かったと思います。
たしかに、人間のやった罪は悪からのものがほとんどですから、テンシが主張するように、罰を与えなければならないし、またそうしなければ今後も罪を重ねるでしょう。
しかし、わたしの神としての功罪を考えると、すぐに罰を与えることが出来なくなるのです。
父のヒカリは、そこのところを良く理解してくれているのですが、イクサやテンシには理解してもらえないところが非常に辛いところなのです。