第二十三章 遠くの泣き声

地球のへそにあたる日本に降りたって、20年が過ぎようとしていました。
宇宙から地球を毎日一周して監視することと、地球上で地球と一緒に回っているのでは時間の感覚がまったく違います。
宇宙から地球を見ていると、地球はコマが回るようにぐるぐると回って見える。だから1年なんて365回コマが回るのを見ているのと同じだから地球にいる時の5分ぐらいの感覚で1年が経過してしまう。ところが地球にいると1年は分にするとざっと50万分の感覚です。何と10万倍の感覚だから20年経過したという感覚は宇宙に「想い」でいると200万年経過したことになる。
それぐらい、宇宙と地球のような自転しながら公転する惑星とでは時間の感覚というよりも概念が違うと言った方がいいでしょう。
前にも言いましたが、これは、三次元立体は時間に閉じ込められている、つまり支配されているから、時間の長さは不変と思っている。
しかしわたしたち宇宙の「想い」は時間に支配されていないから自由自在に時間の流れの中を動くことが出来るのです。
地球上では慣性の法則に支配されて、地球の動きと共に地球上のものは動いているのですが、本人はまったく動いている感覚がなく、止まっていると思っている。
電車の中に乗っている人間は静止している感覚だが、外から電車の中の人間を見ている人間からしたら、もの凄いスピードで電車の中の人間も走っているように見えるでしょう。それと同じで、宇宙から回転している地球はもの凄いスピードで回転しているように見えるのです。
そんな地球上の感覚で20年が過ぎたのです。だからわたしもだいぶん歳をとった感覚でいたのですが、私たち太陽系の家族にとっては50億年経過しているのですから、200万年ぐらいはあっという間の、地球上では約7日つまり1週間ぐらい経過した感覚でわたしの家族は思っているのです。
これは利点と欠点があって、いい気持ちで生きることが出来るなら地球上にいる方が長い感覚でいい気持ちでおれる。しかし悪い気持ちなら、これほど長く苦しいものはない。
地球上に住む生物は人間を除いてすべて時間の概念を持っていないので長く苦しい一生も苦にしないで済むが、時間の概念を持っている人間にとって一生を気持ちよく生きるか、苦しい気持ちで生きるか、これは天と地ほどの差がある。
「一定量」という法則は厳然とあるのですが、宇宙ではもう一つの法則である「エントロピーの法則」というものがある。量は一定だが、質がプラスからマイナスに変位して、マイナスに変位したものは二度とプラスには戻れないのです。だから宇宙では無数の星が絶えず死んでいっている。戻ることが出来ないのです。わたしたち、太陽であるヒカリの一家も50億年後には死んでいくのです。マイナスのエネルギーであるエントロピーになってブラックホールになって、新しい反物質の宇宙へホワイトホールとなって行くのです。そこではこちらの宇宙とはプラス・マイナスが正反対ですから、ブラックホールのエントロピーはプラスの使用可能なエネルギーになって、また新しい宇宙で生きることになるのです。
この法則を知らない人間は、誰かを地獄に落とさないと自分は天国に行けないと勘違いをしているのです。
特に、わたしが地球に降り立った時代に人間は宇宙の知識を多く得て、科学の進歩を飛躍的にしたため、際立った動きをしだしたのです。
それが、ヨーロッパで起こった他の国への侵略行為という、他者を地獄に落とすという発想でした。
その結果、地球上のいたる処で彼らによって地獄に落とされた人間たちの泣き声が遠くから、わたしの耳に聞こえてくるのです。
天国や地獄は実体のない概念なのですが、人間はそれを実体のあるものと思い込み、その両方をわたしの責任に押しつけたのです。
自分たちの心の中でつくった天国と地獄の想いが顕在化すると、天国に行った者はわたしに神のおかげと感謝し、地獄に行った者はわたしを悪魔と罵る。
神は全能と言いながら、悪魔の役もわたしにやらせるのです。
特にヨーロッパの地域を席捲した宗教は実にたくみに、わたしを利用して自分たちの都合のいい神の姿をつくったのです。
悪魔を創るためにはどうしても神が必要なのです。
いいですか、ここが大事なところですよ。
人間の創った、神の概念とそれに基づく宗教の本質は悪魔の存在を認めさせる手法なのです。
神がいて、はじめて悪魔がいる。神の教えに背く人間を懲らしめるために、もっと巧妙な言い方をすると、魂を磨いて神の国に至るために神は試練として人間に悪魔の地獄を味わせる。何とずる賢いやり方でしょう。
実際は、悪魔を容認させるために神を創り、わたしはその二役をやらされているのです。
まったく、人間という動物は狡猾な生き物だとため息をつくばかりです。