第二十一章 凡人の恐ろしさ

大変なことが起こりました。
地球のへそであるこの日本を支配しているサムライが暗殺されたのです。
わたしが一番期待していた人間が突然死んだのです。
この人間なら、混乱した地球の秩序を回復してくれるだろうと思っていたのですが、家来の裏切りに遭いあえなく死にました。
しかしわたしは、彼の体は前に説明しました人間の四つのカテゴリーの中で自己の個体性を確立した3%の部類に属する人間であったことを確信していましたし、その後の可能な進化過程においても、アストラル体は当然ですが、すくなくともメンタル体から神体レベルまで達していて、いよいよ今後の過程でわたしたち「想い」の世界と交信できる、より高い次元の意識レベルまで達する確信がありましたので、肉体が死んだあとでも彼と会話は出来ると信じていました。
普通のいわゆる凡人といわれる人間は体が死ぬと意識を失ってしまいます。
実は人間の体は以前にも説明しましたが基本的には四つの体を持っていますが、大切なのは日頃どの体の意識で生きてきたかです。
ひとつめは肉体そのものです。これは死んだら塵となって終わりです。97%のほとんどの人間はこの肉体意識中心に生きており、死後は死んだように長期間意識を失います。
ふたつめはアストラル体です。ほとんどの人間がひとつめの肉体意識中心に生きており、心とか想いとか、意識というものは彼の脳の記憶装置に蓄積されていたかのように、体の死によってまったくこの宇宙の世界から塵となって消えていくように意識を失います。ただ生きている間にいろいろな学問をし、特に宗教という麻薬にかかっているから死後の世界があると信じている。だから結構この世では立派な学者や知識を大量に蓄積した人間がこのひとつめの肉体意識中心に生きてきた場合が多い。実は肉体意識を中心に生きてきた人間でもこの地球の人間社会では立派な地位の人間が逆に非常に多いのです。その兆候はいくらこの世的成功を収めても晩年に必ずその低劣な本性を表すのです。これも48個の法則のひとつですがこの世的成功を収めるにはふたつの道があります。自己の努力による力で必然として成る道と、同じ97%の凡人より少しずる賢く生きることに普請して97%の部類の中で成功を収める道のふたつです。後者は肉体意識中心に生きてきた人間です。前者がアストラル体の体を持っている人間なのです。
アストラル体の体は肉体と違って、最初は脳で知識を得て、その知識を切り口に外的影響つまりいろいろな苦労にともなう苦悩や不安を受けたときに、その知識の記憶細胞を結晶化していった体のことを言います。
ふつうの肉体の脳は、それまでの生きて学んできた知識が整理されずに、ばらばらに蓄積されている。そして死が訪れると他の臓器の活動を司る脳も一緒に死んで消滅してしまうのです。いわゆる心臓が止まることによる死と脳死が同時に起こる。
だから、肉体の死とともに意識を失う。天国も地獄もない、まったくの「無」の世界です。これがほんとうの唯物的人生なのです。唯物的かどうかは、その人間の考え方ではなく、生き様なのです。神の存在を信じているから唯物的でないなんて、まったくちゃんちゃらおかしい戯れ言です。わたしのことを見たことも、話ししたこともないのに、宗教者と言って愚かな人間をたぶらかすのは、まったく許せません。そんな戯れ言を言う人間がいたら、神を目の前に連れて来い、と言ってやるべきです。連れて来られるなんて不可能です。人間が微少な物質である原子や素粒子を肉眼で見られないのと同じで、わたしの存在を彼らが見られる訳はないのです。こんな単純な理屈も分からないのが97%の肉体だけしか持っていない人間たちなのです。
ところがアストラル体を持っている人間の脳は、日頃からまず知識を得て、それを生きていく上での体験にまで持って行くとその知識通りにほとんどいかないことが分かる。そして葛藤する、時には夢の中でも葛藤する。そうすると自分の欲求と現実とのギャップが大きければ大きいほど大きな葛藤による摩擦熱が自分の脳に記憶された知識に起こる。そしてその熱でばらばらに記憶された知識が溶かされて整理し直される。これが知識の結晶化ということなのです。
脳細胞の知識が結晶化されているとその細胞は他の肉体とはある程度独立して生きることが出来るのです。たとえば、心臓が止まって血液が体の各部に送られなくなるとその各臓器も機能を停止します。当然、脳も機能を停止します。いわゆる脳死です。ところが血液が脳に行かなくなっても結晶化していない脳細胞は即機能停止しますが、結晶化された脳細胞はまだ生き続けることができます。脳死と心臓死がずれるのはこれが原因なのです。
これを理解してもらうには、車の運転を考えればいい。
生きている。つまり車が走っている。そこでガス欠になる。つまり血液がなくなってエンジンにガソリンが行かなくなってエンジンが止まる。そのとき脳細胞が結晶化していないドライバーはあわててエンジンを切ったり、ブレーキを踏んだりして結局、車を止めてしまう。それでおしまいです。
ところが脳細胞が結晶化されて、記憶を整理されているドライバーはあわてずエンジンを切らずにミッションギャーをニュートラルにして今まで走ってきた車の慣性を利用して走るし、エンジンが止まっても慣性で走りながらもう一度エンジンをかけると燃料タンクに残っているガソリンがまだ少しだがエンジンに送られてエンジンがかかる。エンジンがかかると、また車の推進力がつき、慣性力が増加することによってより長く走ることが出来る。そうこうする内に辛うじてガソリンスタンドに辿りつき、命が助かることもあり得るのです。
仮にガソリンスタンドが無くても、より長く走れることは確かです。
これだけの知識をいざというときに発揮するには脳細胞を結晶化しておく必要がある。その結晶化された知識を持った体をアストラル体というのです。
最近、死の定義で心臓死と脳死を議論されているが、アストラル体を持っている人間は肉体が死んでも、しばらくは、意識は死なずに生き続けることが出来るのです。
しかしやがてガソリンが完全になくなるとアストラル体といえども死はやって来る。
メンタル体、神体といっても意識の結晶化がアストラル体より、より精密に結晶化しているだけで、肉体が死んだあと意識がより長く生き続けられるだけのことで死ぬことには、変わりはないのです。
なぜこんなことを話しするかと言いますと、わたしはこの暗殺されたサムライとはある音の振動で対話できるようになっていたと言いましたね。もちろん普通の人間では聞きとれない振動の音ですが。
だから、彼の肉体が死んでも、彼の意識は生きていてわたしと対話をしていたのです。
その20年の間に世の凡人どもが考え、行動したことをお互いにつぶさに見ておった訳です。
人間の世界では、古代からの知恵で死者を49日まで弔う慣習があって、それまでは死者を誉め賛えることをするので、凡人といえども腹の底は見せません。
ところが49日を過ぎた途端に本性を顕わし出します。
まあ、それまでこのサムライに仕えていた人間たちの肉体レベルがはっきりと見えて、このサムライは驚いていました。
しかし、自分の感性は、ほぼ正しかったとも言っていました。
「目立たない、地味なところにこそ人物がいますなあ」とよくわたしにこぼしていました。
本当の凡人がアストラル、メンタル、神体までの肉体を持つ非凡な人間で、この世的に成功した者ほど、恐ろしい凡人だということが解ったようです。