第十六章 人間の種類

伝染病によるお仕置きは、さすがに人間には堪えたようで、この時は宗教者や支配者階級の人間たちは神の祟りだと気づいたようです。
ずっと昔の人間だったら、そこで神の祟りを鎮める儀式をして、その原因を反省することをしていたのですが、この時代の人間たちは知的能力があったようで、何か問題が起こると如何にして解決するかを思考する能力があり、そして必ず解決策を発見・発明してしまうのです。
ちょうどその頃が一番科学が発達した時期で、いろいろな技術を特にヨーロッパの地域で人間は生み出しました。
そして医学も、それまでの苦しい時の神頼みの呪術的手法から、科学的客観性を重視した、非常に有効な手法をあみだして、問題解決をしていったのです。
ただそういった状況をつぶさに観察して見ますと、おもしろいことが分かったのです。
いろいろな技術や発明をした人間は、悪意と利自心だけで非道を繰りかえしてきた支配意識の強い人間たちではなく、かつてインドに生まれた三大宗教の開祖が直感で開眼した客観性を科学的に証明し、人間世界のみならず地球全体の為になることを願って努力した善意ある者たちであったことです。
わたしの肉体である地球を愛し、心配してくれた人間が、わたしが仕組んだ最初の仕置きの伝染病を直す方法を生み出したのです。
わたしは、それを知って複雑な気持ちになりました。そして人間すべてが化け物ではないということを知ったのです。
たしかに、じっくりと人間社会を観察してみますといろいろな種類の人間がいることに気づき、種類別に区分けすると四種類の人間がいることを知りました。
まず大多数を占める種類が他の動物と同じ本能を持って生き、それに人間としての知性・感性を加えた状態で生まれ、その後、教育を受けて生き残りの知恵を最低限備えた人間たちでほぼ97%これに属しています。
彼らの特徴は、肉体はひとつですが「想い」は無数の自分を持っており昨日の自分と今日の自分とがまるっきり違うことに気づかず、同じ自分だと思い込んでいるところです。
そのために自分に名前をつけて無数の自分をひとつの名前でむりやり束ねているのです。だから積極的な悪意はなくても彼らの言うこと、約束することは絶対に守られない、ある意味で一番危険な人種です。
2番目の種類が無数の自分を束ね自分とはいかなる者かを発見し、自己の固有性を確立した人間で、この種類の人間がはじめて進化・進歩できるのですが、残念ながら残りの3%しか存在していません。
3番目、4番目の種類は2番目の種類の人間が進化した状態のもので基本的には2番目のカテゴリーに入ります。
3番目は2番目から努力をすることによって進歩している過程の種類の人間です。
4番目はその努力が実って人間として備えるべきすべてのものを具現した種類の人間です。
この4番目に見なされる人間は、残念ながら今まで出現したことはありません。
あくまで3番目の究極のゴールという概念だけで、実在は不可能だと思います。
わたしが嬉しかったのはごく少ないけれど2番目の種類の人間がいたことです。
彼らならわたしの「想い」を理解することが出来ると確信を持てたからです。
わたしの基本方針はあくまで人間の教育、啓蒙活動なのであって、それは父のヒカリも認め、評価してくれている点なのです。
テンシのように、分からん奴は消してしまえという方法はあまり採りたくないのです。またその方法は確かに有効かつ短期解決にはなりますが、後味が悪いし、結局恨みの連続の堂々巡りになってしまうのです。
やはりテンシはそういう点ではまだ若いと思います。
しかし、言うは易し、行うは難しで、これが仲々うまくいかない。何といっても97%の人間が全然分かっていない。
まず3%の人間を見つけなければならない。
ただ幸運だったのは、わたしが降り立った時代は独裁支配者の世界だったことです。
これが現代のような何か分かっているようで分かっていない、訳の分からない民主主義の時代だったら3%の人間を見つけだすのは、ヒマラヤの山奥にでも行かないとまず無理だったでしょう。97%の数で愚かなことをすべて正統化してしまうようでは人間の存在価値はなくなってしまいます。
独裁者がこの97%を抑えつけていただけに3%の人間を発見できるのはさほど困難ではなかった。
しかし独裁者が97%の種類の人間だったら、これはもう最悪になる。
まず3%の種類の独裁者から探し出すことにしたのです。