第十五章 最初のお仕置き

地球に降り立ったのは、人間という怪物が、他の有機生命体を食い物にするだけではなく、同じ人間の弱い者いじめを始めたのを見て、このままではどこまでわたしの地球の秩序を破壊するか測り知れなくなったためだ、ということは申しあげました。
その中でも最も問題になったのは、公正さの喪失でありました。
宇宙全体が法則に従った活動をしています。法則から逸脱することは絶対に許されていません。
公正ということは法則に則ることを意味しているのです。公正さを喪失するということは宇宙の法則を破るということであり、宇宙全体にとってこれほど迷惑なことはないのです。
わたしが降り立ったのも、宇宙の法則を無視した活動をする人間を正しい道に導くためだったのですが、わたしの優しさというか、優柔不断さというか最初にした教えがますます人間を増長させる結果となったのです。
わたしがやったことは、神の存在を具体的に彼らに見せることでした。
それまでの彼らの創りあげた神の概念はわたしの父であるヒカリが対象だったのですが、わたしは神とは地球上のすべてをいとおしく思う愛だと認識させることだったのです。
見返りの求めない愛、無償の愛を知らしめるために、当時人間の世界で広がっていたいろいろな宗教をまとめあげて三つの大きな宗教に発展させ、その中で愛の本質を広めようとしたのです。
それまでの人間同士の殺し合いは領土争いがほとんどの原因でした。つまり経済的利害観の相克でしたので、そこに本当の愛を教えれば利自よりも利他を優先することで争いがなくなると思ったのです。
その教えを広める宗教として三つの大きな宗教にまとめあげさせたのです。
しかし、三つがいけなかったのです。
何でも三つはよくありません。必ずもめごとが起こります。まだ二つの方がよかったと思います。
もっと性質の悪い争いになったのです。つまり宗教戦争というやつです。
これは形而上学的な問題だけに、根が深い。領土争いは形而下学的な問題だけに解決案はすぐ見つかる。
まず西欧でひろがった二つの宗教の教えの原点が、神は唯一の絶対的な存在だという教えで、その上での神の愛を説いたのです。
この唯一の絶対的存在という考えが、それ以外の存在を認めないという排他性を持ち、たくさんあった小さな宗教を弾圧するとともに、大きな二つの宗教の対立を生んでしまったのです。
この争いでの戦いは領土争いよりもっと激しく、陰湿なものでした。
考えてもみてください。宗教とか神というものは、三次元の肉体を持つ人間にとって避けられない、いろいろな自由にならない束縛による苦悩を解消してあげる目的で創出された概念だったのに、その救いの手だてが、争いの原因になり、挙げ句の果てには殺し合いまでやる。なんと矛盾していることか。
いっぽうもう一つの宗教は神の概念を本来持っていない、一番わたしたちの「想い」の世界を教えたものだったのですが、この頃には偶像崇拝にすり変えられていて、もうこれは逆に無数の神(仏と言っていたようですが)の偶像崇拝でまったくまとまりのない宗教になってしまって、挙げ句のはてに、何かぶつぶつ言うだけで救われるというまことに稚拙極まりないものまで出てくる始末で、これなら領土争いをさせておいた方がましだったと思ったのです。
それを見ていたテンシが堪忍袋の緒が切れて、月からわたしに怒鳴ったのです。
「おとう!何をじゃらじゃらやってんや。いい加減にせんとテンシが降りてお仕置きをやるで」と何と父に向かって罵倒するのです。
さすがのわたしもムカッとして「黙って見ておれ」と言い返してやりました。
「こうなったらもう容赦しないぞ」と言って、お仕置きを決意したのです。
それが、当時世界中で蔓延した伝染病を仕掛けたのです。特にヨーロッパで発生させたペストという伝染病にはさすが人間共もまいったようです。
この日本の都でも伝染病を蔓延させ、このお仕置きはかなり効果があったようです。
しかし、さすが化け物だけあって人間はしぶとい。このことはわたしと人間との戦いの序幕にしかすぎなかったのです。