第四十八章  失った十五年

ドクターが海の向こうで、世界の覇権主義者たちと戦っている間、ボブはエスタブリッシュメントたちのアメリカ支配の仕上げ段階に対して、必死に抗戦していた。
彼らは常に、金の力に任せて川上を抑える戦略を採る。
ボブは川下を抑える戦法を採った。
戦術的には、川の上流を抑えられたら負けである。兵糧攻めである。
戦わずして勝つ、最も効率のいい戦法だ。
国土が広く、資源も豊富、人口も多い、食料も自給出来る国が大国と言われる。
世界を見渡せば、そんな国はアメリカ、中国ぐらいなものである。
ロシアは地理的、気候的にハンディーキャップがあり過ぎる。
ドイツという国が乱立小国家の西ヨーロッパと孤高の大国ロシアの狭間にいたから、あれだけの強い国家を形成できたのだ。
ヨーロッパの中世から近代は、いくら大英帝国と言っても、中心はドイツにあった。
1929年にアメリカで起きた大恐慌は、翌年にはヨーロッパに波及した。
そして、1931年にフーバー大統領がフーバーモラトリアムを実施、世界は金融パニックの様相を呈し、イギリスがポンドと金の兌換を停止したのを皮切りに、世界で金本位制を放棄する国が続出、遂に1932後半から1933年春には世界の貿易は三分の一以下に減少、アメリカでは失業者は四人に一人になり、1933年2月には遂に全銀行が業務を停止した。
そしてその3月に、颯爽とフランクリン・ルーズベルトが新しい大統領として登場、ニューディール政策を開始、全米に高速道路網を建設し、景気の回復を狙った。
ちょうど、それに呼応したかのように1932年7月にドイツ国会選挙でヒットラー率いるナチスが第一党になり、首相になったヒットラーはアウトバーンの建設、フォルクスワーゲンの大量生産を開始、国力の回復を図っていた。
ルーズベルトの政策はヒットラーの模倣であった。
ヒットラーはオーストリア出身で、ハプスブルグ家の皇太子暗殺で起こった第一次世界大戦の敗戦を、兵站力の僅差で負けたと分析した。
そして経済政策を強力に進めていった。
それを内部で邪魔をしたのがドイツ東部に住んでいたアシュケナジーユダヤ人で、高利貸しをして暴利を貪る彼らに、ヒットラーは経済政策に協力するよう要請したのに対し彼らは拒否した。
そしてヒットラーは彼らを国外追放処分にした。
ヒットラーは最後通牒を彼等に出したが、その内容は極めて良心的だった。
「我が国の経済復活に協力してくれるなら良いが、出来ないのであれば、国外退去をして欲しい」といったものだった。しかし彼等は両方とも拒否した。
ここからヒットラーのホロコーストが始まったことを、世界は知らない。
少なくとも当時のドイツ・オーストリア人は、その事実を認識していた。
だからナチスを選んだのだ。
ヨーロッパの歴史のシナリオをつくり指示してきたのは、ドイツ・オーストリア・スイスであったことを世界は知らない。
今でも、真の指示塔はこの地域にある。
アメリカにおいても、ニューヨークが経済の中心だと言われるが、実態はシカゴであり、ニューヨークは表看板なのだ。
それは地理的な条件が揃っているからである。
シカゴがMid Eastの中心と言われる所以である。
ボブが川下の拠点をシカゴに置いて、スーマートの展開を始めたのは慧眼であった。
裏の世界でも、カポネがシカゴを支配した。
五大湖の傍にあり、カナダとの国境があり、これだけ地理的条件の揃った場所はない。
シカゴは川上の拠点でもあり、エスタブリッシュメントたちも指示塔はニューヨークにあっても、現場はシカゴに置いていた。
そこで川上と川下が激突したのだ。
カンサスからカウボーイによってシカゴまで牛が運ばれ、シカゴで競りにかけられる。そして全米の小売業者に配送される。
穀物もシカゴの穀物商品取引所で捌かれる。
金融のもう一方の雄である保険業は、すべてシカゴに集約されている。
ボストンを拠点に、ウィスキーの輸入販売で財を成したケネディー家も、シカゴのメディナ通りにシカゴ最大のビルを保有している。
「トミー。これからのアメリカはカリフォルニアが中心になるだろう。だけど最終的には、シカゴに戻ると僕は思っている。ドクターもヘキサゴンを買収してから、ベーカーズフィールドに拠点を移した。僕はサリナスにスーマートの本社をつくるが、最大のマーケットはシカゴであることには変わりない。君にシカゴに行って貰いたいんだ。君はカンサス出身だから、牛肉の取引きを仕切って欲しい。そして安い、おいしいカンサスビーフをアメリカ中の人たちに提供出来るようにしてくれないか」
トミーは喜んで、ボブの要請を受けた。
『もう自分も三十五才になった。失った十五年を、もう一度サリナスでやり直そう。それが自殺した母のエバへの供養でもあるし、父ジェイコブの彷徨う魂を鎮めてやることも出来る』
1933年4月1日、ボブはスーマートの本社をサリナスに移し、本格的な食料スーパーマーケットをスタートさせた。
ボブは、3月に新しい大統領になった、フランクリン・ルーズベルトが闇の支配勢力の担ぎだした人形であることを知っていた。
新大統領が、国民の税金を使って大規模な政策を実施しようとしていることを知ったボブは先手を打ったのだ。
1929年10月24日と29日に、アメリカ・ニューヨークの株式大暴落から始まった未曾有の大恐慌は、結局アメリカの経済力をより強大にする結果で終焉した。
アメリカから借金をしたヨーロッパの国々は敗戦国ドイツ・オーストリアのみならず、戦勝国イギリス・フランスの経済さえも疲弊していった。
1933年3月にフランクリン・ルーズベルトによるニューデイール政策は、ヒットラーの猿真似であり、一時凌ぎの政策であったから、景気回復の根本解決はしていなかった。
四年後には新たな恐慌状態が起こり、ルーズベルトは、戦争による回復しかないと、闇の支配勢力から指示を受け、ナチスドイツに罠を仕掛けた。
1939年9月1日、ルーズベルトの罠にはまったヒットラーは、ポーランド侵攻を開始した。
そして1941年12月7日、ルーズベルトは日本にも罠を仕掛け、日本を太平洋戦争に引っ張り込んだ。
アメリカの経済は戦争特需で一気に回復していった。
ルーズベルトは歴代大統領の中でもトップクラスに評価されているが、これほど汚職にまみれた大統領はいないことを誰も知らない。
ドクターは、その背後にデヴィッド・ストンハラーがいる舞台裏を知り抜いていた。
ボブはドクターから、うす汚れた政治の世界の話を聞かされ憤慨するが、どうすることも出来なかった。
彼らの陰謀に便乗してスーマートを拡大するのがせいぜいであった。
1941年12月7日、日本との開戦で、カリフォルニアで日本人排撃運動が起こり、日本人をゲットーに収容したアメリカ政府の汚いやり口にボブとドクターは、しばらく水面下に潜る決意をした。
ボブはサリナスでスーパーの経営者、ドクターはベーカーズフィールドでヘキサゴン・ペトロリアムの経営に専念した。
「ボブ。しばらくは奴らの世界だ。その間は、おとなしく力を蓄えておこう。我々の切り札は若さだ。まだ四十代半ばだ。奴らは、もう時間の問題で、地獄から迎えがやって来る。それまで待とう」
「そうだな、カポネを死なせてしまったのも僕の責任だ。しばらくそうしよう」
横で聞いていたベンジャミンが、「その通りでさ。合点で」
と言ってウィンクした。