第四十五章  東部エスタブリッシュメントの生立ち

かつて大英帝国時代にイングランドを支配していたのはヴィクトリア王朝で、今もなお続いているが、それは象徴だけであって、実質の支配者は他にいる。
彼らは決して表舞台には出てこない。
何故なら、一般大衆というものの本質を、彼らは知り抜いているからである。
反面教師的であるが、それは自分たちの先祖がやってきたことから学習しているのだ。
結局、彼らが至った結論は、彼らが長きに亘って得た経験則に基づいている。
結果、一般大衆を実質支配するのは、影に隠れているもので、表舞台に出ているのは、彼らの操り人形に過ぎない。
『支配者になりたければ支配者の名札を貼ってはならない。名札を貼っているのは真の支配者の下僕に過ぎない。彼らは名札を貼っていること自体だけを喜んでいるのであって、支配する喜びはかけら程度も味わえない』
そうやって大英帝国を支配してきたサンヘドリンはポルトガルのリスボンからヴィクトリア王朝に指令を出し続けてきた。
そしてアメリカ大陸を発見するや、この新大陸の大きな可能性をいち早く見通して、またもや大英帝国の支配形態を構築し始めたのである。
ただ彼らにも間違いがあった。
最初、彼らの一味であったコロンブスが発見した大陸は、北アメリカ大陸ではなく、後に彼らが命名した西インド諸島であった。そしてそこにあった文明は南アメリカ大陸に形成されていた、マヤ文明やインカ文明であった。
彼らの支配対象はこれらの文明から搾取することであった。
その頃の北アメリカ大陸は、人工密度の少ない、マヤ文明やインカ文明を生んだ人種の先祖が住んでいただけであった。
彼らは、決して自ら率先して自分たちの文明を開花させるような面倒なことはやらない。既にあるものを奪い取るのが彼らの常套手段なのである。
そこで彼らはまず、南アメリカを奪い取ることから始め、その間に彼らの下僕に北アメリカ大陸を開拓させていた。
そして今や大英帝国からアメリカ合衆国の時代に入ったことで、いよいよアメリカという国を奪い取る行動に移ったのである。
それを象徴しているのが、ニューヨークである。
かつて下僕に開拓させ、その間南アメリカの既存文明を陵辱し尽くしていた時は、ニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれていた。
アムステルダムからヨークに変わったのである。
アムステルダムはオランダの首都であるが、アムステルのいる場所と言う意味である。
アムステルはオランダ語で、ルーツはアムシェルと言う言葉から来ている。
1664年にオランダから英国が奪い取った時点でニューヨークという名前に変えたが、その頃サンヘドリンは南アメリカの搾取に集中していて、アングロサクソンがよく使う名前であるヨークに変えられてしまったのだ。
今、彼らはこのアメリカを奪取すべく、動き出したのだ。
ニューアムステルダムがピューリタン(清教徒)のアングロサクソンによって、すなわち1664年に英蘭戦争で英国が勝ち、ニューヨークになった結果、アムステルダムでダイヤモンドの商売をしていたユダヤ人たちがオランダ人と一緒にアメリカのニューアムステルダムに住みついていたが、他の地域に追いやられた。
それが西部開拓の歴史の始まりであった。
その時代のユダヤ人はオランダ人に混じって共存生活をしていた。
オランダという国は本来位置的に見たら、プロテスタント圏なのだが、北部と南部でプロテスタントとカトリックに別れている、変わった国であった。
だから、ユダヤ人とも共存できたのである。
オランダにいたユダヤ人は、十九世紀からアメリカに移住し始めたロシア系ユダヤ人とは人種的に全く違っていた。
いわゆる聖書に出てくるヘブライ人であり、イスラエル人であった。
紀元七十年にローマ帝国によって滅ぼされた彼らは東西南北に散っていった。
南はエチオピアから南端の南アフリカのヨハネスブルグまで、北はイスパニアのグラナダとリスボンへ、西はエジプトのアレキサンドリアへ、そして東はペルシャのシラズへと散っていった。
イスパニアのグラナダに住んでいた彼らは、その後のイスパニアがカトリック教を強力に推進する中で、再び移動を余儀なくされ、北の果てのオランダにまでやって来た。
そして彼らの同朋が南アフリカで発見したダイヤモンドの原石をオランダへ運んで加工する商売を始めたのだ。それがアムステルダムであり、その中心地ダム広場を彼らが独占した。
一方、十九世紀にロシアから移住して来たユダヤ人たちは全く別の道を選んだ。すなわち石油と食料のビジネスだ。
デヴィッド・ストンハラーがその中心的人物だが、アングロサクソンによって、ニューアムステルダムがニューヨークになってユダヤ人の住みにくい町になった為に、マンハッタン島の対岸のニュージャージーに移った。ストンハラーは更に、再度ニューヨークへ進出するために、ユダヤ教からプロテスタントに改宗して、アングロサクソンだと自称した。そしてアングロサクソンでも、ノルマン系ではないアイルランド人たちはニユージャージーに住み、アイリッシュボストンを形成していった。
これが東部エスタブリッシュメントの誕生である。
それ以後、彼らはアメリカの上流社会を形成し、アングロサクソンの中に上手く溶け込んでいった。
デヴィッド・ストンハラーは、アメリカのエリート、東部エスタブリッシュメントを確立した後、いよいよ全米制覇に乗り出したのだ。
しかし、同朋だったスタッド・カミューは改宗までして、自らアングロサクソンと騙るデヴィッドを許せなかった。
デヴィッド・ストンハラーがアメリカ支配に乗り出したことを知ったドクターは、自分の牙城である穀物市場に殴り込みをかけてきたデヴィッドに対抗して、デヴィッドの牙城である石油市場に殴り込みをかけるためにヘキサゴン・ペトロリアムを手に入れた。
遂に、同じロシア系ユダヤ人によるアメリカ争奪戦が始まろうとしていた。