第三十五章  国家の存亡

「市長、Mr.カミューから、お電話です。如何いたしましょうか?」
秘書が市長に伝えた。
「何!ドクターから?すぐに繋いでくれ」
Mr.カミューと聞いただけで、顔色が変わるぐらいドクター・カミューの名前はサンフランシスコのみならず、全米中に轟いていた。
ロシア革命後のソヴィエト連邦の深刻な飢饉を救ったのはドクター・カミューだった。
アメリカにいる数百万人のユダヤ人のほとんどはロシアのロマノフ王朝の迫害から逃れて移住してきた人々で、ロシア革命でロマノフ王朝を倒したのは共産主義革命だと表面的には言われているが、真相は、スラブ民族から迫害を受けたロシア系ユダヤ人の反撃の結果だったのだ。
フランス革命でブルボン王朝を倒して共和制国家にしたのも、実はロシアにいたユダヤ人だった。
その原因の根は深くて十字軍の遠征まで遡る。
1096年、ローマ教皇になったフランスのウパニス一世が、それまで共存していたイスラム教徒を異教徒として殱滅命令を下したことから始まった十字軍の遠征が、本来の目的である聖地イェルサレム奪回から異教徒殱滅に変節し、挙句の果てに、遠征途中にいた東ヨーロッパからロシアに住んでいたユダヤ教徒に対しても略奪、暴行、殺戮の限りを尽くした。
後にポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺の先鞭をつけたのが、フランスのウパニス教皇だった。
理想国家の模範と喧伝されたソヴィエト連邦の救世主となったドクター・カミューは、クレムリン宮殿をフリーパスで入れる程のパワーを持っていた。
そのドクター・カミューから電話が入ったので市長は慌てた。
市長の前に座っているトミーの存在も忘れて、市長は受話器を取った。
「もしもし。市長さんですか?カミューですが」
「いやあ、ドクター・カミュー。お久しぶりです。今日は何か急なご用事でも?」
市長の手が震えている。
しばらく黙って聞いていた市長の顔が真っ青になった。
「承知いたしました。それでこの件は、あちらの方に報告をする方がいいのでしょうか?分かりました、それでは私から報告しておきます。失礼いたします」
直立して頭を下げ、受話器を下ろした市長の額は大粒の汗で溢れていた。
「トミー。何も言わずにこの部屋から出ていってくれたまえ、そして二度と顔を見せないように」
突然の態度の変化に慌てたトミーだったが、ドクター・カミューの電話と関係していると察知して、何も言わずに市長の部屋を出た。
ドアーにもたれたトミーの全身が震えていた。
「トミー、どうしたんだい?」
ドアーにもたれて目をつぶっていたトミーがボブの声で仰天した。
「ボブじゃないか!一体どうしたんだ、こんなところで?」
真っ青な顔をしてトミーはボブの視線を避けて言った。
「君こそ、一体どうしたんだ、こんなところで?ここは市長の部屋の前だろう?あの土地の買収の一件は落着したはずだろう?まだ何か市長に用事でもあるのかい?」
立て続けに質問されたトミーは、頭が混乱してしまって、正常な精神状態でなくなっていた。
ボブの狙いだったのだが、ボブはそのようなことをおくびにも出さずに、ドクター・カミューの話題をした。
「ドクター・カミューにさっき市長あて電話をしてもらって、近々、市長と僕とドクターとで食事をしようということになったんだ。それでドクターから電話で、市長のところへ挨拶に行っておいてくれ。というメッセージをもらったので、ここに駆けつけたって訳さ」
怪訝な顔をしているトミーだったが、ボブは百も承知だった。
「君も一緒に入るかい?」
ボブが誘うと、今にも逃げ出しそうに、手を横に振って、「いや、僕はやめとくよ」と言いながら階段の方へ走り出した。
「トミー!ちょっと待ちなよ!」
大きなドスの利いた声でボブは走り去ろうとするトミーにブレーキをかけた。
振り向いたトミーを囲むように四、五人の大男がどこからか現れた。
「君も知っているアルの友達だよ、彼らは」
二メートルを悠に越す大男がどんどんトミーを囲んでいく。
トミーの姿は見えなくなった。
「ううううう!」という呻き声がしたら、大男たちがそのまま一団となって階段を下りて行った。
そして独りで二階のホールに立っていたボブは、301号室に向かいドアーをノックした。
すぐにドアーは開けられ、市長がボブの前に立っていた。
「いらっしゃい。ロバート・ベネディクトさんですね?前に一度お会いしていましたね?」
「そうです。丘陵地の土地の件で、お会いしました」
「ドクター・カミューから電話を頂きまして、詳細はあなたから聞いてくれという指示でした。どうぞお入り下さい」
部屋の中には市長以外誰もいなかった。秘書も出されたらしい。
ソファーに座ったボブが口を開いた。
「アーミーから何と言われたのですか?」
「アーミーと言うと?」
市長は首をひねった。
「ああ、失礼。僕はドクター・カミューのことをアーミーと呼んでいるんです」
ドクター・カミューをニックネームで呼ぶ人間がいたことに驚いた市長だったが、更にボブは続けた。
「あなたは、この国の売国奴だと言われませんでしたか?」
しばらく黙っていた市長だったが、観念したのか正直に答えだした。
「ええ、確かに言われました。しかしわたしには思い当たる節がありません」
まだ白を切る市長に、ボブは一枚の紙片を手渡した。
その紙片を見た途端に市長の手はぶるぶると震えた。
「今、この国は英国に取って替わって世界一の大国になりました。世界一の国を常に影で支配しようとするグループが昔からあります。かつて大英帝国を支配したように。そのグループがこの国を我がものにするために、この国を混乱に陥れようとしています。大恐慌もその一環でしょう。あなたは、そのグループに協力をしようとされていることは分かっています。わたしの同僚のトミーも。しかし、いくら歴史の浅い国家といえども、アメリカはわたしたちの国家です。アーミーもそう思っています。
あなたの上にいるグループが如何なる卑劣な手を使おうと、我々は断固排除するつもりです。排除の第一段階がトミーとあなたです」
そう言ってボブは、ドアーを開けて、さきほどの大男たちを部屋に入れた。
「何だね、この連中は!」
市長は窓際の方へ後ずさりしていった。
「ああああ!」
その直後、301号室から大きな叫び声が官舎内に響きわたった。