第二章  父・ジェイコブの死

ジェイコブが脳卒中で倒れた時、医者は一週間の命だと言った。
しかし、ボブとキムの看護でジェイコブは奇跡的にも生命力を回復させ、三ヶ月が経った。
アメリカが参戦した1917年は20世紀における意義深い年であった。
イギリス・フランス・ロシアの三国協商に対抗した、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟が、帝国主義的対立と民族的対立を背景に1914年6月に始まった戦争は1917年にアメリカが参戦することで連合軍となり、三国同盟から離脱したイタリアや日本も連合軍に参加し、同盟軍であるドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリアとの戦いが第一次世界大戦となっていった。
時を同じくして1905年に民衆が蜂起して結成されたソビエトは、アメリカが参戦する1917年の3月に今度は労働者・兵士が蜂起し、そして11月、スイスのバーゼルにいたレーニンが時期到来とばかりにボルシェビキに資金援助し、武装蜂起させロマノフ王朝を倒しソビエト政権を樹立した。
ジェイコブがレタスの供給で事業に失敗し、ボブが戦争を予期して大豆で大儲けしたように、アメリカが大豆、小麦、コーンで世界の穀物市場を制覇したきっかけの年でもあった。
アメリカは革命後のソビエトが深刻な飢饉に見舞われたとき、大量の穀物をソビエトに無償供与したことがある。
この時期から、アメリカは鎖国主義から覇権主義に宗旨変えして行き、それに符号するかのように、世界恐慌がニューヨークから起こるのである。
母親が生きており、モントレーの町で怪しげな酒場の主人になっていることを知ったジョンは、あまりのショックから自暴自棄になり、アメリカ参戦の軍に入隊した。
戦争は絶対にいけないことだ、非人道的行為だと、アメリカ参戦に反対していたジョンが入隊したのである。
そしてサリナスの町に戦死の知らせが相次ぐ中で、朗報がもたされた。
ジョンがヨーロッパ戦線で英雄的戦いをし、十字勲章を貰ったという。
ジェイコブは、この話を聞いた時、再び、ショックで倒れた。
「なぜ、お父さんに、こんな話をしたんだ!」とボブは泣きわめいた。
しかし、ジェイコブは、遂に帰らぬ人となった。
キムは、泣きわめくボブを今度だけは慰めることも出来なかった。
ジェイコブの葬儀にはエバもモントレーの町からやって来た。
「皮肉なもんだね。あれだけ戦争を反対していたジョンが戦争の英雄になり、戦争のお陰で金儲けしたボブが、戦争で傷つけられたなんて」
ボブは、キムを愛していたが、ジョンのことを考えると結婚することは出来なかった。
キムもボブを愛していたが、ボブの気持ちは痛いほど分かっていた。
ジョンが帰ってくるまでは、二人はジョンの亡霊に縛られたままだったのだ。
アメリカが参戦してちょうど一年が経った1918年11月、ドイツがついに降伏した。
農場経営、特に大豆、コーンの商売に没頭していたボブのところに、終戦の報せがキムによって伝えられた。
『ジョンが英雄で、この町に帰って来る!』
二人は複雑な気持ちで大豆畑の中に立っていた。