第十八章  世界デフレーション

「ボブ、エセルがドクター・カミューとのアポイントを取ってくれたよ」
とトミーが走ってボブのオフィスに飛び込んで来た。
ドクター・カミューはヘキサゴン・ペトロリアムを買収してからサンフランシスコとロスアンジェルスとの中間にあるベーカーズフィールドに拠点を変えていた。
「それじゃ、ベーカーズフィールドまで行かなきゃならないんだね?」
とボブが言うと、
「それが、ドクター・カミューも一度、ボブに会って見たかったようで、自分からサンフランシスコまで出て来ると言うんだよ」
その話しを聞いて、逆にボブは相手の凄さを感じた。
「そうか、相手がわざわざフリスコまで出て来るのか。僕の負けだな。そう言われて、こちらから出向くと言うのも子供じみているからね」
そして二人はサンフランシスコのノブヒルにあるマーク・ホプキンスホテルで6月3日午前11時に会うことになった。
エセルの話だと、ドクター・カミューはボブのことを良く知っている様子で、側近の者に以前から調べさせていた節があるらしい。
特にワシントンのFBIがカポネとの関係からボブに関心を寄せていることでカミューの耳にも入ったらしい。
「あのカポネが信頼していた堅気の事業家とは、一体どんな人物か一度会ってみたい」
と側近に洩らしていたのだ。
そして、いよいよ二人が会う日がやって来た。
ボブの店はチャイナタウンに近いモンゴメリー通りに面したところにある。そこからカリフォルニア通りをノブヒルに上がりメーソン通りと交差したところにマーク・ホプキンスホテルがある。
大戦が終わった1918年に建設が始まり、8年掛かりで完成した19階建て高層ホテルだ。
ホテルの一階のロビーの奥に小さな会議室がある。
そこが二人の会談の場所だった。
カミューの要望で、お付きの者は一切なしで会議室で二人きりで会うことになっていたので、ボブは一人でホテルに向かった。
ホテルはちょうどサンフランシスコで一番高い丘陵地であるノブヒルにあり、名物の路面電車が上りきったところのちょうど角に、それほど広くない正面玄関を構えるホテルだった。
『自分と同じ歳頃のロシアからの移民が、今ではワシントンのFBIのみならず、ホワイトハウスまでコントロール出来る。一体ドクター・カミューとはどんな怪物なのだろうか』
ボブは興味と恐さを合わせ感じながら、ホテルの入口を入っていった。
奥の会議室に入って行ったボブは、そこに初老の紳士が立っているのを見て、部屋を間違えたと思って出ようとした。
「ミスター・ベネディクトですね?」
『やはり、間違えていなかった。そうすると!?』
と思った時、初老の紳士から口を開いた。
「わたしが、スタッド・カミューです」
自分の年齢とほぼ変わらないと言われていたが、その雰囲気から四十代は間違いない、とボブは思った。
「ベネディクトさんは1900年生まれでしょう。わたしも同じ1900年にウクライナのキエフで生まれました。老けて見えるでしょうが、実はまだ33才なんです」
と言って笑った。
「わたしは、新しい国家になったロシアが大飢饉に見舞われた時に、大量の小麦を新政府に送り、最初は感謝され有頂天になりました。ところがアメリカの農民が機械化に成功して世界の農業立国になったにも拘わらず、政府の保護政策のおかげで競争意識を喪失し、挙句の果てに作物の品質を利益最優先のために落としてしまった。そしてソヴィエト連邦政府からわたしは訴えられ敗訴してしまいました。おかげで、こんなに老けてしまったのです」
ボブもカリフォルニアの農民から聞いたことがあった。
19世紀末にディーゼルエンジンが発明され、トラクターが開発され農業の機械化が進み、アメリカの農家の生産性が飛躍的に伸びた。
ところが、20世紀初頭に始まった世界的なデフレーションで、価格破壊が起こり、アメリカ政府は保護政策を採った。
そのために、せっかく世界一の経済大国になったのに、自由競争の原理を忘れてしまった。
結局、アメリカ国内の企業も、海外に目を向けず、アメリカ国内の市場だけで利益を上げようと安易な方法をとったのが失敗だった。
おかげでアメリカ経済は破滅状態になり、世界は大デフレーションに陥った。
「あの状態が続けば、わたしも破産をしていたでしょう。不謹慎ですが、世界大戦がそれを救ってくれたのは事実です。それ以来、もうすっかり老け込みました」
「わたしは、穀物メジャーの横暴に振り回されている農家の人たちが気の毒で、彼らに挑戦しました。無謀と言われるでしょうが、彼らの商業主義のみのやり方には我慢なりません。わたしが今日、あなたにお会いしたいと申し入れしましたのも、あなたが穀物メジャーを支配していると聞いたからです」
カミューは黙って頷きながら聞いていた。
「たしかに、彼らのやり口は汚い。しかし以前はそうではなかったのです。この国の保護主義政策から歯車は噛みあわないようになりました。
わたしも、それまでは穀物メジャーのオーナーの一人でしたが、先ほど申しあげたソ連との訴訟問題以来、この世界から手を引きました」
ボブはてっきりカミューが穀物メジャーの支配者だと思っていたから、彼の話しは俄かに信じられなかった。
しかし、態度物腰を見ていると信用できる人物に思える。
「この国は、大変な化け物に乗っ取られようとしています」
カミューは暗い表情で喋りだした。
「何ですか、その化け物というのは?」
内心では、「お前さんが、この国を裏で支配しているんではないか」とボブは思っていたが、カミューが言う「大変な化け物」というものにも興味を持った。
「エネルギーを支配している奴らです」
ボブはエネルギーと聞いて石油がすぐに頭に浮かんだ。
「石油メジャーのことですか?」
石油メジャーという言葉を聞いただけでカミューの表情が変わった。
「人類の歴史は何で始まったかご存知ですか?」
急に人類の歴史の話が出てきて戸惑った様子のボブを見て、カミューは話を続けた。
「人類も最初は他の動物と同じで、まず日々の食べ物を狩猟という方法でまかなっていて、当時は食べ物を蓄えるという概念を持っていませんでした。人類も他の動物と同じ生活スタイルだったのです。その人類が人間となったのは、火を発見したからです。この火こそエネルギーの概念の誕生で、原始宗教の崇める対象はすべて火でした。そして火に対する崇拝がその後太陽信仰へと発展していくのです。自然の世界に同化している生物は、火や太陽といったものは賜物であって所有するものではないのです。ところが火をつくることを知った人間は所有することを考えだした。エネルギーの誕生です。しかしエネルギーが巨大な力を持つようになったのは、ヨーロッパで興った近代社会からで、特にイギリスで起こった産業革命が引き金になりました。その時以来、エネルギーを支配する者が世界を支配する時代へと移っていくのです。イギリスが世界を支配していた時代の最大のエネルギー源は石炭でした。ところがイギリスから独立したアメリカで石油が発見されると、イギリスの衰退が始まりました。アメリカの台頭は石油というエネルギーの発見から起こるのです。またイギリスは世界最大の牧畜
保有を誇っていました。羊の数などは人口を上回っていたのです。このことは狩猟型社会を原型としています。しかしアメリカが農業を飛躍的に発展させ世界一の農業国になると、狩猟型社会支配から農業型社会支配への移行が起こったのです。その原点はエネルギー問題であり、その時から世界を支配するにはエネルギーを支配することであり、結果、食料を支配することになっていったのです。穀物メジャーと石油メジャーが繋がりを持つようになったのは、科学肥料が石油から発明された時です。わたしが穀物メジャーから手を引いた原因は、ソ連政府からの小麦品質問題の訴訟だと言いましたね。科学肥料を使用することで生産効率は飛躍的に伸びましたが、品質が粗悪になり、植物性蛋白質であるグルテンの含有率が著しく低下してしまったのです。それよりも恐ろしいのは、科学肥料の持つ劇物が人間の体質を変化させることが分かったのです。しかし科学肥料の原料である石油を供給する石油メジャーは、科学肥料を増産させ、使用させるため穀物メジャーに触手を伸ばしていったのです。わたしが手を引いたのも、そのことを知ったからです」 驚くべき真相を聞いたボブは、カミューに聞いた。
「聞いたところによると、あなたはヘキサゴン・ペトロリアムという石油会社を買収したようですね?」
カミューは笑いながら答えた。
「わたしも石油メジャーに追随して科学肥料で儲けようと企んでいると、おっしゃりたいんでしょう。石油メジャーと言っても支配しているのはナショナル石油です。彼らの支配力を削ぐために、わたしは石油事業に手を出したのです。アメリカの農家を守ろうとするあなたと、農業そのものの在り方を憂慮するわたしが手を組めば、彼らに対抗出来ると思いませんか?」
ボブはカミューの意図がやっと見えてきた。
「彼らの巨大な力を、どうやったら削ぎ落とすことが出来るでしょうか」
ボブが考え込むと、
「わたしは、政治家との強いパイプを持っています。政治を使って、彼らをばらばらにしようと思って、ヘキサゴン社を買ったのです」
カミューの意図が掴めないボブにカミューは言った。
「独禁法という法律をご存知ですか?」
「はい、知っています。市場を不当に独占支配しようとする者から消費者を守る法律ですね」
「そうです。この法律を彼らに適用させるよう政府に働きかけるのです」
カミューの話を聞いたボブは、何と壮大なことを考える人間だと驚嘆した。