第十七章  ヤングアメリカ

歴史が百年余りしかない国アメリカ。
世界で一番幼い国がアメリカだ。
その一番幼い国が一番巨大な国になったのだから、多くの歪を抱えているのは当然と言えば当然である。
しかし、その歪というのは旧来の国の基準でのものであって、果たして旧来の基準が絶対的なものであるかは断定できない。
そこがアメリカという国の底知れぬ可能性でもある。
三十歳そこそこの青年が、この巨大な国を支配している。
ヨーロッパやアジアの歴史のある国々では有り得ないことであるが、それが絶対だとは言えない。
ボブやドクター・カミューなどはアメリカという国しか生み得ない人材かも知れない。
それだけに、経験不足の思い込みによる独善的行為に先走る危険性も孕んでいる。
世界大戦に参戦した後の、世界大恐慌は明らかに、アメリカという国の独善的行為が大きな原因であったことは否めない。
しかし、アメリカの独走を止めることが出来る国家はもはや存在しない。
大英帝国も、今やその影すら見ることができないところまで衰退してしまった。
アメリカという国家が生まれたのは、ヨーロッパでのピューリタニズムという宗教的相克がその源泉にあると言われているが、それはあくまで表の理由であって、実際は人種的迫害から逃れる人々によってつくられた国家なのである。
その中でも、最初に迫害を受けたのが、ロシアのスラブ民族系ロマノフ王朝に迫害を受けた東ロシアに住むトルコ・アルメニア系カザール人だった。
彼らはロシアを亡命し新天地アメリカに向かう前に、アメリカで為すべきことを詳しくプログラムにして記録した。それは幾世紀にもわたる長期計画であったからである。
そのプログラムの核になるのが下記の文章である。
『経済問題によって大衆を、黙々として働かねばならぬ我々の従順なる下僕たらしめよう。我々は彼らの中から、我々の新聞に使う適当な者を探し出して来て、我々が直接官報に掲載できないような事項も、我々の指令通りに論ずるよう命令する。斯かる機会を狙って新聞は世論を新しい種々の経済問題に向けるだろう。人民の愚鈍な指導者たちは、これらの経済問題の討議に懸命になるであろうが、しかし彼ら自身が決定しようとしている事態が、そもそも政治であることに少しも気づいていない。政治上の問題は、既に幾世紀の間それを創造したり、指導したりして来た者のみが理解可能なのである。
以上に述べたように、我々が大衆の信頼を得ようとするのは、ただ我々の国家機関の遂行を一層容易たらしめるために過ぎない。
我々が世論の賛成を求めるのは、我々の行動に対してではなく、我々の言葉に対してであり、我々は我々の欲する通りに行動する。しかし大衆に対しては、我々が一般大衆の幸福に役に立ちたいという希望と確信に依るものであることと思わせるようにすることは忘れてはならない。
大衆を政治問題から遠ざけるために、我々は新しい問題として経済問題を提議し、彼らが自ら思索する能力を失わせるために、娯楽、スポーツ、クイズ番組などを与えてやろう。此れによって大衆の頭を政治から離れさせ、我々と政治闘争する大衆から、政治を忘れさせ、我々に共鳴する下僕にならしめることができる。そして我々が政治の権力を握るまで、彼らの一部を自由主義的空想家としての役割を果たせしめ、表面的には進歩的と信じられるような新しい空想論に導くのに大いに役に立つ。実際我々はこれまでも進歩という言葉を巧みに利用して、大衆の空虚な頭を洗脳して来た。彼らの中には一人としてこの進歩という言葉が真理を覆い隠すものであるということを理解するだけの頭を持った者はいない。何故なら真理は只一つであるのみで、これには進歩の入る余地などあろうはずがないのである
この恐るべき人間性悪説を持って彼らは新世界樹立のためにアメリカに亡命したのだ。
19世紀末から彼らは大挙新天地を求めてアメリカ大陸の当時ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークに向かった。
ドクター・カミューもその一人だった。
トルコ・アルメニア系の人種はそれまでキリスト教を信仰していたが、オスマントルコ帝国が侵略してきた時に、キリスト
教徒十字軍がイスラム教徒虐殺をしたことへの報復を、イスラム国家オスマンがするかもしれないと恐れて、ユダヤ教に改宗した。
そのユダヤ教がロシア正教の迫害を受けたのがきっかけだった。
ユダヤ教とキリスト教はルーツが同じ聖書だと言われているが、実はその生い立ちから見て、不倶戴天の敵同士の関係である。
キリスト教の開祖であるイエスを、十字架に架けたのがユダヤ教徒であり、またキリスト教を広めたイエスの十二人の弟子たちであったのだから話しは複雑である。
兄弟的宗教であるはずのユダヤ教とキリスト教、またキリスト教とイスラム教が何故かくも、激しく憎悪の殺し合いをするのか全く理解できない。
しかし、その生い立ちをよく知れば、骨肉の争いをするのが当たり前の関係なのだ。
問題は、キリスト教という名前がことをややこしくしている。
キリスト教をバチカンの開祖ペテロのペテロ教にするか、ペテロの教えをローマに広めたパウロのパウロ教にすれば良かったのだ。
それとも、イエス・キリストの教えをことごとく覆した、アンチ・キリスト教とすれば、一般に理解されやすくなったかも知れない。
その証拠に中世カトリック教会では信者に聖書を読ませていない。賛美歌を歌い誤魔化してきた。また牧師も聖書の一部だけを暗誦するよう教育され、都合の悪いところは一切教えられていないし、またそのことに疑問を感じない牧師が、信者に説教をするのがキリスト教の実体である。
だから、本来はロシア正教のスラブロシアに迫害されたカザール人は、アンチ・キリスト教であったにも拘わらず、同じアンチ・キリストのユダヤ教を信仰したため、またまた世界の迫害に遭うことになり、後にドイツにいたカザール・ドイツ人であるイディッシュ・ユダヤ(アシュケナジーユダヤ)に対するホロコーストの大虐殺を引き起こすのだった。
そして、またまた彼らはアメリカへ脱出することになる。
アメリカという国の、真の姿をここに垣間見ることができる。