第十六章  Dr.カミユー

ボブは、フリスコの丘陵地の買収の件で、市長が穀物メジャーに操られていて土地の買収工作を邪魔されたことをエセルに話した。
「市長って、サンフランシスコ市長のこと?」
エセルはボブに訊いた。
「ええ、そうです。何という名前かは知りませんが」
「ジーン・ブラウンという名前よ」
エセルが顔を歪めて言ったので、
「あまり、良い印象を持っておられないのですか?」
ボブはエセルに尋ねた。
「いやらしい男よ。市長になってからもこの店に出入りしているわ、しかもフリーでね」
エセルの話だと、市長になる前はコーチャン社の倉庫係をやっていた男で、その倉庫はサンフランシスコ郊外にあって、カリフォルニアの農家から買ったコーンをストレージしてある。そこの倉庫の管理をしていたらしい。
その頃から、エセルの店に出入りしていたが、何があったのか突然サンフランシスコ市長選挙に出たという。
コーチャン社が全面協力して当選したのだ。
コーチャン社では、単なる現場の下積みであった男が、何故市長選挙に会社のバックアップを得ることが出来たのか、当時の市民は不思議がった。
しかし、年月が過ぎると人の噂も消えていく。
今では、再選も果たした立派な市長だ。
「どうして、今でもこの店に来ることが出来るのですか。言いにくいことですが、いかがわしい店に市長が出入りしているだけでスキャンダルになると思いますが・・・」
ボブはエセルの話を聞いて不思議に思った。
「あの会社は全国紙の新聞社もコントロールしているのよ。この町のスキャンダルなんて簡単に握り潰すわ」
エセルの話を聞いていて、今更ながら穀物メジャーのパワーにボブは驚いた。
「その黒幕もわたしは知っているわよ」
エセルは自慢げに言った。
「黒幕というのはコーチャン社の社長じゃないのですか?」
トミーが言うと、
「あなた達は、まだ世間の実体を知らないのね。わたしみたいな商売をしていると、よく見えるの。表面に出ていることなど、まさに氷山の一角だわ。本当の黒幕はね、スタッド・カミューという男よ。この男はさすがに用心深くて、こんな店に絶対に姿を見せないけれど。何でもソ連という国ができたのでしょう、ロシアという国に。そこに大量の穀物を送って、飢饉を救ったらしいわ」
ボブは、アメリカという国を実質支配しているスタッド・カミューという男がいると聞いたことがあった。
大統領でも自由に動かすことができ、ソ連のトップがいるクレムリンにフリーパスで入れる男だと聞いた。
ボブの戦闘意欲が猛烈に燃え出した。
スタッド・カミューという男は、ボブとほとんど歳が変わらない青年で、まだ三十歳前後だ。
この若さでアメリカを影で支配している。
『一体、どんな男なんだろう?』
ボブは事業では自信を持っていたが、上には上がいるものだと思った。
エセルがカミューのことを喋りはじめた。
「今から二十年前に、ロシアから沢山の人がアメリカに移住してきたらしいわ。カミューもその一人で、何でもロシアで迫害を受けたのが原因らしい。その中でアメリカという大農業国に目をつけたカミューは、農業の勉強をして農学博士になった。だから一般にはドクター・カミューと呼ばれているの。アメリカの農家に融資をして機械化を推進し、大量の作物を生産できる大農家を育成したらしい。だから農家の人たちは、ドクター・カミューのことを神さまだと思っている。
ソ連が飢饉になった時、彼の力で百万トンの小麦をアメリカから送ることが出来たのも、農家の協力を得られたからなの。そうして、政治的影響力をどんどんつけて行った怪物よ」
トミーが横から口を挟んだ。
「近頃、聞いたところでは石油にも手を出し始めたらしい。カリフォルニアにあった小さな石油会社を買収したと聞いている」
それを聞いたエセルは思い出したように言った。
「ヘキサゴン・ペトロリアムという潰れかけた石油会社よ。ナショナル石油が市場を独占するために、他の資本の石油会社を市場から締め出した煽りを食ったらしい。彼らは金儲けのためには何をするか分からない」
自分と歳が変わらない若者がそこまで出来るものかと、信じられない気持ちのボブはドクター・カミューに会いたい気持ちが募って行くのだった。
「彼は今どこにいるんだい?」
とトミーに訊くと、「このサンフランシスコにいるんだ」と答えた。
「何とかアポイントメント取れないかなあ!」
アメリカを影で支配する超大物だ。しかもナショナル石油を所有するストンハラー一族と対等に闘う力は、想像以上のものだとボブは思った。
ボブは、穀物メジャーの支配者はストンハラー一族だと思っていた。
だからストンハラーと闘うドクター・カミューに親近感を持ったのだ。
穀物メジャーを支配し、全米の農家を足下にひれ伏させている彼らを、ボブは許せなかったのだ。
「エセル、何とかドクター・カミューとのアポイントを取れないだろうか?」
ボブの表情があまりにも真剣だったので、エセルは「何とか、彼の下で働く連中に当たってみるわ!」と、エバにそっくりな彼の闘争心に絆されて引き受けたのだ。