第十五章  母・エバの秘密

ボブは、サンフランシスコ市長がコーチャン社出身で、同社の支援によって市長選で選ばれたことを知った。
「この土地取引はインサイダー取引に抵触する可能性がある。弁護士を使って告訴しよう」
トミーは興奮して言ったが、ボブは冷静だった。
「トミー、ここは敵の出方を見てみよう。それからでも遅くない」
ボブは考えた。
『相手は、明らかにこちらの意図を承知で邪魔に入ったとしか考えようがない。それならこちらの動きをしばらく止めてみよう。そして奴等の出方を待とう。
その間に、小さなスーマートをダウンタウンに建設しよう』
答が出たら、ボブの行動は早い。
チャイナタウンのすぐそばに二万スクェアーフィート程度の土地を中国人から買って、小さな店を出した。
年中無休、二十四時間営業の店でガス・ステーションも兼ねたものだった。
大抵の物が店に陳列され、ガスを補給に来る客を店に誘い入れるために、セルフサービスのガス・ステーションにした。
カリフォルニアの農家で作られた、コーン、大豆、小麦を大量にストックし、ガス代金の支払いにレジにやって来た客が自分で車に積み込む分、値引きをするという理由で、市場価格の半値近い値段にした。
儲けは十パーセントもない薄利だったが、その分、量でカバーしようとボブは考えた。
ボブがダウンタウンに小型スーパーを出したことを知ったメジャーは、先買いした土地の用途に困り果てていた。
ボブがスーマート用地に買おうとしていると思って、邪魔に入っただけだから、ただの山林をどう利用していいのか分からず、また市長に圧力をかけて、買い戻しさせようとした。
市長も、さすがに立場があるからコーチャン社の恩があっても、言いなりになる訳にはいかなかった。
結局、サンフランシスコ市が、買い手が見つかるように協力するということになった。
早速、サンフランシスコ市から官報を出して、案件の土地の払い下げをすることを発表した。
「土地の払い下げなら、安い価格になるだろうな」
ボブはトミーに言った。
「そうだけど、ボブの名前で申し込んだら、すぐに拒否されるよ」
そんなことはボブも分かっていた。
「誰か、サンフランシスコでパートナーになるような信用できる人材はいないだろうか」
考えていたトミーが急に明るい顔をして言った。
「そうだ、エバの仲間でエセルという女性がいる。エバが自殺した後、モントレーからフリスコに移ったと聞いている。彼女なら協力してくれそうだ」
ボブはエセルに一度会ってみることにした。
ボブの人生を決定的にする女性との出会いが待ち受けていることを、ボブは知る由もなかった。
「エセル、トミーだ。久しぶりだね」
トミーはエセルが経営する居酒屋に電話をした。
エセルはエバがサリナスの町を飛び出し、モントレーの町にやって来た時、モントレーの漁師相手に商売女をやっていたのだ。
何も考えずにサリナスを去ったエバはあてもなくモントレーの町を彷徨っていた。
そして一軒の居酒屋に吸い込まれるように入った処が売春宿で、そこでエセルが働いていた。
エバは当時26才、エセルは18才だった。
エバの成熟した女の雰囲気と、彼女の美しい手にエセルは、女ながら魅了された。
そして、呆然としながらウィスキーを飲んでいるエバの処にエセルの方から話しかけたのだ。
エバも最初は、まだ少女の面影が残るエセルを商売女とは思ってもいなかった。
『わたし、ここでお客を取らされているの』
エセルから打ち明けられたエバは、『こんな可憐な女の子が、この辺りにたむろしている荒くれ漁師たちの慰めにされている。それに比べたら、わたしはまだ幸せだわ』と思うと、突然エセルに言った。
「わたしも、出来るかしら?」
「何を言ってるの!わたしは親の借金の肩代わりとして、ここに連れてこられたのよ。あなたは、何の借金もないのに、どうして自分からこんな地獄のような仕事を選ぶの!」
「そんなことは、どうでもよくってよ。教えて頂戴な、わたしにも出来る?」
エセルは驚きながらも、エバの美貌に感心していたから、「そりゃー、あなたほどの美貌なら、お客は一杯ついてくるわよ」
つい本音を言ってしまった。
「それじゃ、ここの主人の処へ案内して下さらない?」
真剣な眼差しのエバの迫力に圧されて、エセルはエバを主人の部屋に案内した。
エバの容貌を見ただけで、女主人は跳び上がって喜んだ。
「こんな、素晴らしい子は、あたしが店を始めて20年以上なるけど初めてだわ。早速、お客を取ってあげるわ」
この言葉を聞いた時、腹を括ったつもりのエバだったが、一瞬、恐怖感が襲ってきた。しかし、もう遅かった。
「あれから、何年経ったのかね?トミー。エバの子が来ているんだって?」
エセルはトミーに訊いた。
「ああ、店のカウンターにいるよ。呼んでいいかな?」
トミーに言われたエセルは頷いた。
トミーに連れられて部屋の中に入って来たボブを見てエセルは驚いた。
「まあ、エバの面影が残った子だね。だけど、まさかデビッドのねえ」
ボブとトミーはエセルの言っていることが何のことか分からず、お互いに顔を見た。
「デビッドって一体誰のことなんだい?」
トミーが訊いた。
「サリナスのジェイコブの弟だよ。種違いの兄弟だがね」
父のジェイコブに弟がいたなんて聞いたことがなかったボブは、エセルに向かって愛想で頭を下げながら言った。
「サリナスのジェイコブと言うのは、僕の死んだ父親のことを言っておられるんですか?」
「そうだよ。あんたがエバの子だったらね」
「父は兄がいたとは聞いていましたが、弟がいるなんて初耳です。本当なんでしょうか?」
エセルは、礼儀正しく喋るボブの態度を見て、居住まいを正した。
「品の無い喋り方をしてしまってごめんなさい。つい商売柄が出てしまって・・・」
人間の顔と言うものは本当に心の状態を正直に表わすものだ。エセルの喋り方が変わると、顔の相まで急変して、実に気品のある顔になった。
『この人は、もともとは気品のある人だったんだろう』
ボブは思って、笑いながら答えた。
「いえ、僕も事業家のはしくれですから、人を判断する目は持っているつもりです」
ボブの言葉で、エセルは五十を過ぎていたが、まるで少女のような表情になって嬉しそうに微笑んだ。
「デビッドというのは、ジェイコブを産んだ母親が彼を連れて家を飛び出した直後に、モントレーの漁師と一緒になった後、産まれた子だよ。人間も他の動物と一緒で習性というものは変わらないね。ジェイコブと結婚したエバも双子の子供を産んだ後、ジェイコブの下から飛び出すんだから。双子の子供というのが、あなたとジョンでしょう。ジョンはどうしているの?」
ボブは表情も変えずに返事をした。
「サリナスにいます。先ほど言われたことの件ですが、僕はジェイコブの子ではないんですか?」
「それは、エバに直接確かめるしか方法がないんだけど、もうこの世にいないのね」
エバのことを思い出してエセルは涙ぐんだ。
「あの気丈夫なエバが自殺するなんて今でも信じられないわ」
エセルはサリナスを去った後のモントレーでのエバとのことを話し出した。
「こうやって、サンフランシスコで商売が出来ているのもエバのお陰なの。わたしはエバと違って弱虫だから、エバより先輩なんだけど客を取らされてはいつも泣いてばかりいた。その時、いつもエバに励まされていたわ。
そしてエバが独立して店を持った時に、わたしはエバに引き取られ、商売女から足を洗うことが出来たの。その上にこうやってこの町で店を持つことが出来たのもエバのお陰なの」
エセルの話しを聞いていたボブは、エバとの最初の出会い、そして大豆の投機の五千ドル貸してくれた時のことを思い出していた。
「今こうやって事業をしているのも、エバから借りたお金が元手ですから、僕も同じです」
「デビッドのことは、わたしがエバから聞いた話でね」
とエセルは話しを続けた。
エバが何故サリナスを去ったのか、ボブは疑問に思っていたが、エセルの話しですべてが分かった。
ジョンとボブは、ジェイコブとの間で生まれたのではなかったのだ。
ある日、エバと新婚生活を送っていたジェイコブの処へデビッドが弟だと言って現れた。
そして、教会の世話に熱心なジェイコブが家のことを余り顧みないのを不満に思ったエバが、デビッドと過ちを犯してしまい、挙句の果てに子供まで孕んでしまったのだ。
しかし、世間体を気にしたジェイコブは、デビッドとの間の子供を自分の子供として育てようとした。ジェイコブが許してくれたと思い込んだエバはジェイコブに献身的に尽くしたが、ジェイコブの心の中に埋めようのない深い溝が出来てしまっていたことに気づいたエバは、敬虔なクリスチャンの偽善性に失望して家を飛び出したのだ。
ボブには、もう遠い過去のことでしかなかったから、エセルの話を聞いても、動揺はしなかった。
「それよりも、相談したいことがあるんです」
ボブは目を輝かせながらエセルの顔を見た。
ボブの輝くような顔を見つめながら、エセルは思い出していた。
サンフランシスコに住んでいたデビッドが、サリナスの町にやって来たのは母が亡くなった時に種違いの兄がサリナスにいることを教えたからだ。
母親はジェイコブとその兄のアブラハムを連れ子にモントレーの猟師と一緒になった。そしてデビッドを産んだ。
しかし、この猟師は大酒飲みの根からの悪党で、デビッドが産まれてすぐ借金の形に三人の子供ごと母親を淫売宿に売り飛ばしてしまった。
アブラハムとジェイコブは、それから数年後、機会を見つけて淫売宿を逃げ出して父親の住んでいるサリナスの町に戻って来たのだ。
デビッドはまだ小さかったし、種違いの弟だから、アブラハムとジェイコブはデビッドを母親の下に残して逃げたのだ。
母親の死の枕元ですべてを聞かされたデビッドは復讐の鬼と化した。
そして家族を売り飛ばした猟師の父親を探して復讐を遂げ、次に自分を見捨てた兄たちに復讐をするためにサリナスにやって来た。
アブラハムは若死にして、すでにこの世にいなかった。
ジェイコブは父親の事業を継いで農作物の卸し売りの事業をやっていて、エバと結婚をした直後の幸せの絶頂だった。
デビッドは復讐心を内に秘めて、ジェイコブの情にすがった。
ジェイコブも種違いとはいえ、自分の弟であるデビッドを見捨てた後ろめたさがあったから、デビッドの面倒を見た。
父から引き継いだ事業の一部を分けてもらったデビッドは、着々と復讐計画を練っていった。
そしてジェイコブが教会でのチャリティー活動を熱心にしているのを不満に思っているエバに近づいた。
エバはもともと信仰には熱心ではない人間であったから、新婚当時から、ジェイコブのチャリティー活動に反対しては口論になることが多かった。
そして、デビッドがエバに言い寄った。
いくら、信仰心がないエバでも不倫を何とも思わないほど落ちてはいない。
必死に抵抗をしたが、結局デビッドの思うままになってしまったのだ。
そして、しばらく泥沼のような状態が続いていたら、エバが子供を宿した。
さすが良心の呵責に耐え切れなくなったエバは、すべてをジェイコブに告白した。
今まで、感情を徹底的に抑圧してチャリティー活動をしてきたジェイコブが遂に切れてしまった。
子供を孕んでいるのに、体を要求するデビッドと一緒に死のうと思ったエバが、隠していたピストルをデビッドに向けようとした時、ジェイコブが部屋に入って来た。エバは咄嗟に激怒していたジェイコブに向かって引き金を引いた。
銃弾はジェイコブの肩を抜いた。
ジェイコブのそばに駆け寄ったエバの手にあったピストルを、ジェイコブは取り上げてデビッドに向かって撃った。
銃弾はデビッドの額を撃ち抜いた。
エバは警察の取調べに、襲って来たデビッドを自分が自衛上撃ったと証言した。
そして、小さな町の噂は一気に広がり、エバはサリナスの町を出て行ったのだ。