第八章 死とは自己の意識(魂)の死に他ならない

記憶の誕生したときが、死を知るに至った瞬間(とき)に他ならない。
若しも、
死を知ることが生まれたときから持ち併せている本能知であったなら、記憶は生まれた直後からある筈です。
ところが、
私たちの記憶は、生まれた直後からはじまってはいません。
まさに、
死を知ることは、後天知(人工知)であることの証明です。
更に、
記憶とは、“自分は・・・”という自我意識(エゴ)あってのものだねであって、自他を区別する意識から生まれた“自分は・・・”という自我意識(エゴ)無しでは、記憶は発生し得ないわけです。
従って、
死を知るもの(knower)自分(self)とは、自他を区別する意識から生まれた“自分は・・・”という自我意識(エゴ)に他ならないわけです。
逆に言えば、
死を知らない他の生きものや、人間の子供は、自他を区別する意識から生まれた“自分は・・・”という自我意識(エゴ)など持ち併せていない証明でもあるのです。
この事実は一体何を示唆しているのでしょうか?
つまり、
死ぬとは、記憶が消滅したとき、
つまり、
自他を区別する意識から生まれた“自分は・・・”という自我意識(エゴ)が消滅したときに他ならないのです。
従って、
死ぬとは、意識の死、つまり、魂の死に他ならないのです。
更に詳しく言えば、
死ぬとは、自他を区別する意識から生まれた“自分は・・・”という自我意識(エゴ)が死ぬことに他ならず、“自分は・・・”という自我意識(エゴ)の源泉である肉体(特に五感)が位相の変化(相転移現象)を起こすだけで、肉体を構成している物質はそのまま存在しているのです。
まさに、
死とは、自己の意識(魂)の死であって、自己の肉体(物質)の死ではないのです。
つまり、
肉体は滅びても、魂は永遠であるという輪廻転生説とは逆になります。