第七章 死を知ったのはいつ?

人間の子供は、死ぬということを知らない。
ところが、
私たち大人の人間は、死ぬということを知っている。
つまり、
いつかどこかで、私たち人間だけが大人になることによって、死ぬことを知ったわけです。
まさに、
死ぬことを知るという後天知(人工知)を得ることによって、大人になるわけです。
では、
いつどこで、私たち人間が大人になったのでしょうか?
この疑問に対する答えを得るには、
知るという意味を理解しなければなりません。
少し哲学的な展開になりますが、よく脳みそに汗をかいて考えてください。
そこで、
知るという行為には三つの形態があります。
知るもの(knower)。
知られるもの(known)。
知るそのもの(knowing)。
つまり、
知るという行為は、
知るもの(knower)、
知られるもの(known)、
知るそのもの(knowing)、
の三つの形態がなければ起こらないのです。
何を言いたいかと申しますと、
死を知るためには、
死を知るもの(knower)、
死を知られるもの(known)、
死を知るそのもの(knowing)、
という三つの状態が必要なのです。
そうしますと、
死を知らなかった子供が、死を知るに至るには、
死を知るもの(knower)、つまり、自分(self)、
死を知られるもの(known)、つまり、他者(others)、
死を知るそのもの(knowing)、つまり、他者の死(others' death)、
という三つの状態が要るわけです。
つまり、
自他の区別意識がなければ、死を知るということは起こらないわけです。
そこで、
いつどこで、私たち人間が大人になったのでしょうか?
まさに、
自他の区別意識が誕生したときに、人間の大人になったのです。
まさに、
自分(self)という意識が誕生したときに、人間の大人になったのです。
言い換えれば、
記憶が誕生したときに、人間の大人になったのです。
従って、
死を知るに至ったときとは、記憶が誕生したときに他ならないのです。