第四十九章 かけ違いの最初のボタン

独り=死と繋がっている。
そして、
“なぜ私たちは死を知ったのか?”
その解答は、
“独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること”
そして、
““如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと”
そして、
“『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること”
を知るためだったのです。
そして、
死の理解とは?
その解答は、
“独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること”
そして、
““如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと”
そして、
“『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること”
を理解することだったのです。
まさに、
死を常に背負っているのです。
まさに、
死こそ実在に他ならなかったのです。
そして、
生とは死の不在概念に過ぎなかったのです。
ところが、
私たち人間は、生と死を逆さまに捉えていたのです。
まさに、
ボタンのかけ違いの最初のボタンとは、生・死二元論のボタンに他ならなかったのです。
そして、
生・死二元論のボタンの本質とは、生と死は一枚のコインの裏表であることです。
つまり、
死というコインの表(コインの(本)材質)と、生というコインの裏(コインのメッキ)とは、補完関係にある。
ところが、
私たち人間は、
死というコインの表(コインの(本)材質)と、生というコインの裏(コインのメッキ)とは、二律背反(対立)関係にあると捉えてしまったのです。
平たく言えば、
“生が好くて、死が悪い”と捉えてしまったのです。
まさに、
生・死二元論のボタンのかけ違いが起こったのです。