第四十七章 “如何に死ぬか”という問題と正対する

私たち人間は、“如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくために、死を知ったのです。
ところが、
私たち人間は、“如何に生きるか”に汲々とした生き方をしているのです。
言い換えれば、
私たち人間は、“如何に死ぬか”という問題を回避して生きてきたのです。
つまり、
私たち人間は、
“如何に死ぬか”という問題を回避する=“如何に生きるか”に汲々とする。
逆説的に言えば、
“如何に生きるか”に汲々としない=“如何に死ぬか”という問題と正対する。
従って、
“如何に死ぬか”という問題と正対するには、“如何に生きるか”に汲々としないことに尽きるのです。
では、
“如何に生きるか”に汲々としないか?
では、
汲々とするとは一体どういうことなのでしょうか?
まさに、
この世的成功を追いかけることです。
つまり、
お金持ちになろうとすることです。
出世しようとすることです。
権力を持とうとすることです。
老子の言葉だそうです。
“人が生まれたときは、柔らかくて弱弱しい
 死に際して、硬くなってゆく
 植物でも生きている間は、しなやかで柔らかい
 死に際して、脆く乾燥する
 従って、
 硬さ(硬直)は死にはつきものであり
 しなやかな柔かさは生につきものである”
更に意義深い言葉が続きます。
“大胆不敵な軍隊は必ず負ける
 強い木は必ず切り落とされる
 従って、
 硬くて強い根は木の地底に置かれ
 柔らかくて弱弱しい葉や花は木の頂点に置かれる”
ところが、
強くて権力のある者が頂点に立ち、弱くて貧乏な者が底辺に置かれる、私たち人間社会はまさに、自然(地球)と逆さま社会なのです。