第四十六章 独りで生きている自覚

私たち人間は、独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚するために、死を知ったのです。
そして、
独りで生まれてきたことはわかっています。
また、
独りで死んでゆくこともわかっているようです。
ところが、
独りで生きてゆくことがわかっていないようです。
その結果、
自覚の人生を送ることができないのです。
その結果、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目に陥っているのです。
その結果、
差別・不条理・戦争が横行する人間社会になっているのです。
逆に言えば、
眠りの人生を送っているわけです。
では、
独りで生きていることをどうしたらわかることができるのでしょうか?
そこで、
あなたは、どうして死を知ったのか、憶えて(覚えて)いるでしょうか?
まさに、
独りで生きていることを自覚した瞬間(とき)に、死を知ったのです。
つまり、
赤ん坊として誕生し、子供として育っている間は、独りで生きていることを自覚することはできません。
なぜなら、
母親(地球)との一体感で生きているからです。
つまり、
一元論の世界で生きているからです。
ところが、
いつかどこかで、独りで生きていることに自覚する瞬間(とき)がやってくるわけです。
その瞬間(とき)こそ、死を知った瞬間(とき)なのです。
まさに、
独りで生きている自覚=死を知る
ところが、
ここでボタンのかけ違いが起こった。
その結果、
死を知った記憶だけが残り、独りで生きている自覚を失ってしまったのです。
ではボタンのかけ違いとは一体何なのか?
第三十八章で述べたことを思い出してください。
私たち人間の大人は、自分独りで生きているのでなく、多くの他人(ひとたち)に支えられて生きていると考えることが正しいことだと信じてきました。
また、
そういう信条を子供の頃に植えつけられて生きてきました。
だから、
自分勝手なふるまいをする人間を否定することが、人間の大人社会では常識であったわけです。
ところが、
人間の大人社会とは、差別・不条理・戦争がはびこる社会なのです。
一方、
人間の子供社会では、それぞれの子供たちが自分勝手なふるまいをして生きています。
ところが、
人間の子供社会とは、差別・不条理・戦争など一切ない社会なのです。
他方、
他の生きものの自然社会でも、それぞれが自分勝手なふるまいをして生きています。
ところが、
他の生きものの自然社会とは、差別・不条理・戦争など一切ない社会なのです。
この矛盾は一体何でしょうか?
前述したように、
私たち人間の大人は、自分独りで生きているのでなく、多くの他人(ひとたち)に支えられて生きていると考えることが正しいことだと信じてきました。
また、
そういう信条を子供の頃に植えつけられて生きてきました。
まさに、
ボタンのかけ違いがここで為されたのです。