第四十二章 新人類 & 旧人類

私たち現代人は、宇宙開闢の歴史の中で33番目の節目に立っている。
そして、
私たちひとり一人の人間が、子供から大人に成長してゆく中で、ボタンのかけ違いをせずに大人になった人間、すなわち、自覚の人生を送ることができる人類が、これからも進化してゆく人類である。
一方、
私たちひとり一人の人間が、子供から大人に成長してゆく中で、ボタンのかけ違いをして大人になった人間、すなわち、錯覚の人生を送る羽目に陥った人類が、進化しない人類である。
まさに、
真の人類は、覚醒の人生を送っている人間である。
一方、
眠りの人生を送っている人間は、猿と変りない。
この事実は一体何を示唆しているのでしょうか?
つまり、
猿の一部が人類に進化したように、
人類の一部が人間に進化したように、
私たち人間の一部が、真の人類に進化してゆくのです。
そして、
真の人類と猿の違いは、
真の人類は自覚の人生を送る。
一方、
猿は錯覚の人(猿?)生を送る。
言い換えれば、
私たちひとり一人の人間が、子供から大人に成長してゆく中で、ボタンのかけ違いをせずに大人になった人間は、自覚の人生を送る。
一方、
私たちひとり一人の人間が、子供から大人に成長してゆく中で、ボタンのかけ違いをして大人になった人間は、錯覚の人生を送る。
更に言い換えれば、
全体感

独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること

“如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと

『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること
で生きている人間は、自覚の人生を送るわけです。
一方、
部分観

独りで生まれ、独りで死ぬが、誕生と死の間に横たわる生においては、独りで生けてゆけないと錯覚すること

“如何に生きるか”に汲々とした生き方をすること

過去・現在・未来に想いを馳せて生き、自分と他者が同じ世界を生きていると錯覚すること
で生きている猿は、錯覚の人(猿?)生を送るわけです。
まさに、
新人類と旧人類の違いに他なりません。