第三十八章 ボタンのかけ違い

全体感

独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること

“如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと

『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること
に他ならない。
一方、
部分観

独りで生まれ、独りで死ぬが、誕生と死の間に横たわる生においては、独りで生けてゆけないと錯覚すること

“如何に生きるか”に汲々とした生き方をすること

過去・現在・未来に想いを馳せて生き、自分と他者が同じ世界を生きていると錯覚すること
に他ならない。
ところが、
私たち人間の大人は、自分独りで生きているのでなく、多くの他人(ひとたち)に支えられて生きていると考えることが正しいことだと信じてきました。
また、
そういう信条を子供の頃に植えつけられて生きてきました。
だから、
自分勝手なふるまいをする人間を否定することが、人間の大人社会では常識であったわけです。
ところが、
人間の大人社会とは、差別・不条理・戦争がはびこる社会なのです。
一方、
人間の子供社会では、それぞれの子供たちが自分勝手なふるまいをして生きています。
ところが、
人間の子供社会とは、差別・不条理・戦争など一切ない社会なのです。
他方、
他の生きものの自然社会でも、それぞれが自分勝手なふるまいをして生きています。
ところが、
他の生きものの自然社会とは、差別・不条理・戦争など一切ない社会なのです。
この矛盾は一体何でしょうか?
前述したように、
私たち人間の大人は、自分独りで生きているのでなく、多くの他人(ひとたち)に支えられて生きていると考えることが正しいことだと信じてきました。
また、
そういう信条を子供の頃に植えつけられて生きてきました。
まさに、
ボタンのかけ違いがここで為されたのです。