第三十四章 自覚の人生 & 錯覚の人生

私たち人間の大人は、
誕生(始点=静止実在点)→生(円周=運動映像線)→死(終点=静止実在点)と捉えるから、
誕生(始点=静止実在点)は独り。
死(終点=静止実在点)は独り。
だが、
生(円周=運動映像線)は独りでない。
と捉えている。
ところが、
生(円周=運動映像線)とは、まさに、映像であり、その実体は、静止実在点の連続に他ならない。
つまり、
独りで生まれ、独りで死に、そして、誕生と死の間に横たわる生も、独りで生きる、
と言うのが真理である。
まさに、
静止実在点の連続(運動映像線)が円周の正体であるのに、円周そのものが実在すると勘違いしているから、独りで生きていると自覚できないのです。
つまり、
実在しているのは、唯一無二の自分だけであることを自覚できれば、独りで生まれ、独りで死に、そして、誕生と死の間に横たわる生も、独りで生きていることが自覚できるのです。
そしてその瞬間(とき)、
“如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくことができるようになるのです。
従って、
誕生(始点=静止実在点)は独り。
死(終点=静止実在点)は独り。
だが、
生(円周=運動映像線)は独りでない。
と錯覚している人間が、“如何に生きるか”に汲々とした生き方をする。
一方、
独りで生まれ、独りで死に、そして、誕生と死の間に横たわる生も、独りで生きると自覚している人間は、“如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくことができるようになるのです。