第三十一章 万物の霊長たる所以

私たち人間の大人社会、つまり、死を知った生きものの逆さま社会が、正さま社会に変貌するには、“如何に死ぬか”という問題と正対する人間で構成される社会にならなければなりません。
そして、
“自分の死は自分で決める”
従って、
私たち人間の大人と、他の生きものや人間の子供との決定的な違いは、“如何に死ぬか”という問題と正対する生きものか、そうでない生きものかにあるのです。
まさに、
万物の霊長たる所以は、
“如何に死ぬか”という問題と正対する生きものにあるわけです。
つまり、
人類という生きものがみんなエデンの園から追放されたのではなく、ひとり一人の人類が子供から大人に成長していく中で、自ら、エデンの園を出て行ったように、人類という生きものがみんな万物の霊長というわけではなく、ひとり一人の人類が子供から大人に成長していく中で、自ら、万物の霊長になっていくわけです。
従って、
一見、同じように思える私たち人間の大人ですが、実は、私たちひとり一人に、万物の霊長なのか、それとも、乱暴な比喩ですが、他の生きものたちを侮蔑する言葉の、いわゆる畜生なのかの決定的な違いがあるのです。
そして、
“如何に生きるか”に汲々とした生き方をしている人間は、いわゆる畜生なのです。
一方、
“如何に死ぬか”という問題と正対して生きている人間こそが、万物の霊長なのです。
まさに、
無知の世界(一元論の世界)を生きている生きものが畜生ならば、
知性の世界(二元論の世界)を生きている生きものはいわゆる畜生なのであり、
理解の世界(三元論の世界)を生きている生きものこそが、進化の最先端を切っている万物の霊長に他ならないのです。
まさに、
死を知らない無知の世界→死を知った知性の世界→死を理解した超えた世界と進化してこそ、万物の霊長と呼ばれるのです。
まさに、
“自分の死は自分で決める”生きものこそ、万物の霊長と呼ばれるのです。