第三章 私たちが『今、ここ』を生きられない理由(わけ)

私たち人間は、後天知(人工知)ではあるけれど、確かに、死を知っているように思えます。
大人の人間なら100%みんな、死を知っているでしょう。
つまり、
自分もいつか死ぬと誰もが思っています。
ところが、
“いつか死ぬ”というのが曲者なのです。
つまり、
死ぬ時期は知らないのです。
死ぬことは知っているが、いつ死ぬかは知らない。
これでは中途半端な知り方です。
何年何月何日何時何分何秒・・・に死ぬということを知ってはじめて、死を完全に知ったことになるのではないでしょうか。
従って、
死ぬことは知っているが、いつ死ぬかは知らないという状態の私たち人間は、死を本当に知っているとは言えません。
死を本当に知るためには、何年何月何日何時何分何秒・・・に死ぬということを知っていなければなりません。
ところが、
何年何月何日何時何分何秒・・・に死ぬということを知ることは絶対に不可能です。
なぜなら、
何年何月何日何時何分何秒・・・ということは、すでにやって来た『今、ここ』に他ならず、未だ来ぬ未来ではないからです。
まさに、
知ることは未だ来ぬ未来に想いを馳せることに対して、起こることは『今、ここ』の出来事であって、何年何月何日何時何分何秒・・・ということは、『今、ここ』に他ならず、未だ来ぬ未来ではないのです。
ただし、
『今、ここ』と過去・現在・未来の「現在」とはまったく違います。
つまり、
何年何月何日何時何分何秒・・・に起こる死とは、『今、ここ』の出来事であって、過去・現在・未来の「現在」では何事も起こらないのです。
従って、
未だ来ぬ未来とは、想いを馳せることであって、現実に起こることではないのです。
過ぎ去った過去とは、想いを馳せることであって、現実に起こったことではないのです。
現に在る現在とは、想いを馳せることであって、現実に起こることではないのです。
現実に起こることは、『今、ここ』を置いてしかないのです。
そして、
何年何月何日何時何分何秒・・・に起こる死とは、『今、ここ』を置いてしかないのです。
従って、
いつか死ぬことを知る中途半端な知り方は、未だ来ぬ未来に想いを馳せることに他ならないのに対して、何年何月何日何時何分何秒・・・に死ぬという本当に知る死とは、『今、ここ』を置いてしかないのです。
つまり、
死ぬことは知っているが、いつ死ぬかは知らない中途半端な死は、未だ来ぬ最後の未来の死に他なりません。
だから、
未だ来ぬ途中の未来のことは何も知らないのです。
一方、
何年何月何日何時何分何秒・・・に死ぬという本当に知る死とは、『今、ここ』の死に他ならないのです。
結局のところ、
死とは、未だ来ぬ未来の出来事ではなく、『今、ここ』の出来事に他ならなかったのです。
まさに、
私たち人間が、他の動物や人間の子供のように、『今、ここ』を生きることが出来ず、過去や未来に想いを馳せてしか生きられない理由(わけ)は、本当の死を知らなかったからに他なりません。
本当の死を知る、つまり、「死の理解」の大切さの所以です。