第二十九章 本能とは知ることではなく在ること

“如何に死ぬか”の問題と、“如何に生きるか”の問題は一枚のコインの裏表の関係に他ならない。
つまり、
私たち人間の大人の世界、すなわち、二元論の世界の問題に過ぎません。
言い換えれば、
円周の世界の問題に過ぎません。
更に言い換えれば、
幻想(映像・想像・思考)の世界の問題に過ぎません。
一方、
一元論の世界、すなわち、他の生きものや人間の子供の世界では、“如何に死ぬか”の問題も、“如何に生きるか”の問題もありません。
つまり、
生の概念も、死の概念もありません。
すなわち、
思考のない世界です。
言い換えれば、
“自分は・・・”という自我意識のない、地球と一体感(全体感)の世界です。
そして、
“自分は・・・”という自我意識のない、地球と一体感(全体感)の世界では、食う食われるという本能はありますが、生きる死ぬという概念はありません。
なぜなら、
食う食われるという本能は、鉱物・植物・動物という三つの形態を持つ地球という星では、食物連鎖の法則という円回帰運動の一環に他ならないからで、そこでは、生の概念も、死の概念もありません。
たとえば、
地球の親星である太陽では、水素という鉱物しかなく、水素が核融合反応を起こして、つまり、水素爆弾が爆発することでヘリウムガスに変るという円回帰運動の一環に他ならないからで、そこでは、生の概念も、死の概念もありません。
平たく言えば、
ライオン(肉食動物)がシマウマ(草食動物)を食べ、シマウマ(草食動物)は草(植物)を食べ、草(植物)は土(鉱物)を食べ、土(鉱物)はライオン(肉食動物)を食べるという円回帰運動に過ぎず、
シマウマ(草食動物)はライオン(肉食動物)に食べられ、草(植物)はシマウマ(草食動物)に食べられ、土(鉱物)は草(植物)に食べられ、ライオン(肉食動物)は土(鉱物)に食べられるという円回帰運動に過ぎず、
円回帰運動している限りは、すべてのものは不増不減、すなわち、エネルギー保存の法則に則しているわけです。
つまり、
生の概念も、死の概念もないわけです。
更にたとえば、
2Oという分子化合物が、摂氏0度から摂氏100度の間では水という一見形あるものですが、摂氏100度を超えると水蒸気という一見形のないものになりますが、H2Oという分子化合物に変りはありません。
まさに、
摂氏0度から摂氏100度の間の水が生の状態であり、摂氏100度を超えた水蒸気が死の状態であるわけですが、H2Oという分子化合物には、生も死もありません。
まさに、
生と死の概念は、
始点→円周→終点という円回帰運動の中の円周(知性)の世界にしかないのです。
従って、
死ぬ恐怖とは、先天知(本能知)ではなく、後天知(人工知)に他ならないのです。
なぜなら、
一元論の世界(無知の世界)では、知ること(知性)などそもそも無いのですから。