第二十八章 “如何に死ぬか”という問題と如何に正対するか?

“如何に生きるか”に汲々とした生き方をする、私たち人間の大人社会は、逆さま社会である。
一方、
“如何に死ぬか”という問題に正対する生き方をする社会が、正さま社会である。
言うまでもなく、
逆さま社会では、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖はつきものの社会です。
そして、
その結果、
差別・不条理・戦争の横行する社会になる。
そして、
その結果、
支配する者と支配される者の二層構造の社会になる。
そして、
その結果、
世襲・相続の差別が慣習の社会になる。
そして、
その結果、
世襲・相続の差別を堅持しようと躍起になるオス(男性)社会になる。
まさに、
逆さま社会の典型に他なりません。
一方、
正さま社会は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の社会です。
そして、
その結果、
差別・不条理・戦争と無縁の社会になる。
そして、
その結果、
支配する者も支配される者もない社会になる。
そして、
その結果、
世襲・相続の慣習が一切ない社会になる。
そして、
その結果、
世襲・相続の差別を堅持しようと躍起にならないメス(女性)社会になる。
まさに、
正さま社会の典型に他なりません。
従って、
“如何に生きるか”に汲々とした生き方をする、私たち人間の大人社会は、逆さま社会である。
一方、
“如何に死ぬか”という問題に正対する生き方をする社会が、正さま社会である。
そうしますと、
私たち人間の大人社会、つまり、死を知った生きものの逆さま社会が、正さま社会に変貌するには、“如何に死ぬか”という問題と正対する人間で構成される社会にならなければなりません。
そこで、
“如何に死ぬか”という問題に正対するには、先延ばししない生き方をすることだと前述しましたが、具体的にはどうしたらいいでしょうか?
次章から考えていきましょう。