第二十三章 死の恐怖を超える鍵

悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖とは、
“如何に生きるか”という問題は、“如何に死ぬか”という問題と表裏一体の関係にあることを理解していない結果生まれる。
逆に言えば、
“如何に死ぬか”という問題は、“如何に生きるか”という問題と表裏一体の関係であることを理解していない結果生まれる。
つまり、
“如何に死ぬか”を外して“如何に生きるか”は考えられないことを理解していない結果生まれる。
また、
“如何に生きるか”を外して“如何に死ぬか”は考えられないことを理解していない結果生まれる。
ところが、
私たち人間の大人は、
“如何に生きるか”に汲々として生きています。
そして、
“如何に死ぬか”など考えたこともありません。
まさに、
“生が好くて、死が悪い”という間違った二元論を展開しているわけです。
その結果、
生を求めて、死を避けるという土台不可能な、好いとこ取りの相対一元論に陥ったわけです。
言い換えれば、
“如何に生きるか”を求めて、“如何に死ぬか”を避けるという土台不可能な、好いとこ取りの相対一元論に陥ったわけです。
従って、
先ず、
私たち人間の大人がしなければならないことは、
“如何に死ぬか”という問題と正対することです。
そうしますと、
前章で申しましたように、
死の恐怖とは、“如何に死ぬか”の答えが得られない結果の所産である。
つまり、
“如何に死ぬか”という問題と正対して、死の理解をすることこそ、死の恐怖を超える鍵であることがわかってくるのです。