第二十一章 超える=二元論を超える

なぜ私たちは死を知ったのか?
言い換えれば、
なぜ私たちは死を超えなければならないのか?
つまり、
私たち人間が死を知ったのは、死を超えるためのものだったのです。
従って、
死を知らない者に、死を超えろと言ってもどうしようもありません。
まさに、
死を知るということは、生と死の問題を超えることに他ならないわけです。
そこで、
私たち人間が抱えている人生の諸問題は、“如何に生きるか”という生の問題として捉えていますが、実は、生と死の問題に他ならないのです。
まさに、
“如何に生きるか”という問題は、“如何に死ぬか”という問題と表裏一体の関係であるわけです。
逆に言えば、
“如何に死ぬか”という問題は、“如何に生きるか”という問題と表裏一体の関係であるとも言えるわけです。
つまり、
“如何に死ぬか”を外して“如何に生きるか”は考えられないのです。
また、
“如何に生きるか”を外して“如何に死ぬか”は考えられないのです。
従って、
なぜ私たちは死を知ったのか?
言い換えれば、
なぜ私たちは死を超えなければならないのか?
つまり、
私たち人間が死を知ったのは、死を超えるためのものだった。
そして、
死を超えるとは、生と死を超えることに他ならないのです。
まさに、
超えるとは、二元論の世界を超えることに他なりません。